ピアニスト:ジャン・フランセ Jean Françaix

ジャン・ルネ・デジレ・フランセ(Jean Rene Desire Françaix , 1912年5月23日 - 1997年9月25日)は、フランスの新古典主義音楽の作曲家。


ピアニストや編曲家としても活躍し、多作家で、生気あふれる作風で知られる。没後の翌年から、フランス国内でフランセを讃えたジャン・フランセ国際音楽コンクールも開催されている。

生涯

フランセの天与の才能は、幼い頃から家庭環境によって育まれた。父親は音楽学者・作曲家・ピアニストであり、母親は声楽教師だった。6歳で作曲を始め、1922年の最初の出版作品は、ナディア・ブーランジェの注目を集める。当時彼女は、楽譜出版社のための仕事をしており、ブーランジェはフランセに音楽活動を薦めた。フランセ自身はしばしば自作を演奏して、公衆の注目を集めた。たとえば、「ピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ」のバーデン=バーデン初演(1932年)が有名である。

フランセは若い頃から洗練されたピアニストで、パリ音楽院ピアノ科では首席に輝いており、ソリストや伴奏者としての道を模索したこともあった。チェリストのモーリス・ジャンドロンとの共演が有名だが、ジャック・フェヴリエの代役として、フランシス・プーランクの「2台のピアノのための協奏曲」で作曲者自身とピアノを共演することもあった。

しかしフランセの、やはり主要な業績といえば、きわめて積極的な作曲活動であった。生涯を通じて多作家であり、1981年においてさえ、「いつでも作曲している」と公言していたように、別々の作品を掛け持ちで書き上げるのが常だった。この習慣は没年まで続けられた。

作品

モーリス・ラヴェルはフランセの少年時代に、その両親に次のように述べている。「この子の才能のうちで、私が見る限り、一人の芸術家として最も将来が有望視されるのは、旺盛な好奇心に恵まれているということです。くれぐれも親御さんが、かけがえないこの才能を潰したり、坊ちゃんの感受性をしなびさせたりしませんように」

フランセは多産な作曲家であり、幅広い作曲様式によって200曲以上の作品を残した。

作品はピアノ曲が中心を占めており、あらゆる管絃楽曲や合奏曲、とりわけ多くの室内楽曲では、ピアノの存在が目立っている。フランセは管弦楽法の手腕に長けており、音色の扱い方にその能力が発揮されている。フランセは大形式の楽曲を数多く手懸け、協奏曲や交響曲、オペラ、劇場音楽、バレエ音楽を残した。またカンタータなど、20世紀に関心が失われつつあった伝統的な楽種にも手を染めている。フランセは、古くからの表現方法に現代的なスピード感を付け加えたものの、自他ともに認める新古典主義者として、無調性や無形式の迷宮を斥け、声楽曲の作曲では、過去の偉大な前例に倣っている。また10点の映画音楽も残した。

作曲様式は、生涯を通じてほとんど変わらず、軽快さと機智にあり(自ら述べたところによると、目指したところは「喜びを与えること」だった)、旋律線同士のやりとりも目立っている。尊敬していた作曲家、たとえばイーゴリ・ストラヴィンスキーやラヴェル、プーランクらに影響されたが、取り入れたものは自分自身の確たる美学へとまとめ上げている。こういう側面は初期作品にも認められる。

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