ピアニスト:エトヴィン・フィッシャー Edwin Fischer

エトヴィン・フィッシャー(Edwin Fischer, 1886年10月6日 - 1960年1月24日)は、スイス出身、主にドイツで活躍した名ピアニストで、すぐれた指揮者、教育者でもあった。

経歴

バーゼルに生まれ、同地でハンス・フーバーに師事、1904年にベルリンに移り、シュテルン音楽院でマルティン・クラウゼに学んだ。したがってクラウディオ・アラウとは同門ということになる。翌年には早くも同校の教授となり、1914年まで勤めた。後にはベルリン高等音楽院の教授にも就任している。 指揮者としては、1926年リューベックの管弦楽団、1928年からはミュンヘンのバッハ協会を指揮、さらに自ら室内管弦楽団を結成しその指導にあたり、協奏曲の演奏では独奏を兼ねながら指揮をする、いわゆる「弾き振り」と呼ばれる演奏習慣を復活させた。1942年には母国に帰り活動を続け、ヘルテンシュタインの自宅で73年の生涯を閉じた。 同時代の音楽家とも深い交友関係を持ち、ピアニスト仲間のアルフレッド・コルトーやヴァルター・ギーゼキングとは相互に信頼と尊敬を抱く仲だった。指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラーも親友であり、共演を重ねた。ヴァイオリニストのゲオルク・クーレンカンプとチェリストのエンリコ・マイナルディとはトリオを結成、クーレンカンプ没後はヴォルフガング・シュナイダーハンが加わった。

フィッシャーは、良きヨーロッパの伝統を20世紀に伝えた存在であった。温かく、心のこもった内面的な演奏は深い音楽性を湛えていた。技巧的な問題点を指摘されることもあったが、楽曲の本質的な精神を把握することにかけては無類の存在であって、非常に高い尊敬を集めた。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの演奏では同時代の第一人者で、『平均律クラヴィーア曲集』の全曲録音を1933年から1936年にかけて、世界で初めて行った。その他、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ベートーヴェン、フランツ・シューベルト、ヨハネス・ブラームスなどのドイツ古典音楽を得意としていた。 フィッシャーは、オーケストラを前にしてハイドンかモーツァルトの交響曲を1曲を指揮し、2曲の協奏曲で前述の通り指揮と独奏を担当するというプログラムのコンサートをしばしば行ったが、1938年から戦後にかけてザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルとの共演は音楽祭の恒例行事となった(録音や映像も残されている)。フィッシャーは人間的にも音楽的にもウィーン・フィルのメンバーを魅了し、音楽することの大いなる喜びを与えたという。

教育者としても豊かな素質・人間性を持った傑出した人物で、パウル・バドゥラ=スコダやダニエル・バレンボイム、アルフレート・ブレンデルなど数多くの名ピアニストを育てたことでも知られている。
著作の訳書に『音楽観想』(佐野利勝訳、みすず書房「みすずライブラリー」 1999年)がある。

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