ヴァイオリニスト: ゲルハルト・ヘッツェル Gerhart Hetzel

ゲルハルト・ヘッツェル(Gerhart Hetzel、1940年4月24日 ノヴィ・ヴェルパス (en) - 1992年7月29日 ザルツブルク)は、ユーゴスラビアで生まれ、ドイツやオーストリアで活動したヴァイオリニスト。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターを務めた。

略歴

1940年、ユーゴスラビア王国(現セルビア領内)にてハンガリー人の父とルーマニア人の母の間に生まれる。
1956年、それまでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターであったヴォルフガング・シュナイダーハンらと共にルツェルン祝祭弦楽合奏団を結成。ベルリン放送交響楽団(現在はベルリン・ドイツ交響楽団)のコンサートマスターとなる。
1969年、ヴァルター・ヴェラーの後を受けてウィーン国立歌劇場及びウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターとなる。オーストリア人以外のコンサートマスター就任は異例であった。
1986年、シュナイダーハンの後任としてウィーン国立音楽アカデミーの教授に就任する。

1992年、ザルツブルク近郊ザンクト・ギルゲンで登山中に海抜900m地点から転落し、全身打撲のため搬送先の病院で死去した。岩に手をかければ助からないこともなかったというが、楽器奏者としての本能から手をかばった結果、死に至る傷を負ってしまったと伝えられている。

人物

音楽家評論家のクリスチャン・メルランはヘッツェルの人となりについて「飾り気がなく、控えめに振舞う苦行者のようでありながら笑顔を絶やさず、名高いコンサートであろうが、定期公演のマチネーであろうが、変わることなく情熱的に取り組み、自分の仕事に全身全霊を打ち込んだ。楽団員全員とすべての指揮者から尊敬されるような、まさに聖職者であった」と述べている。

評価

「ウィーン・フィルの歴代コンサートマスターの中でも、ゲルハルト・ヘッツェルほどこのポストにふさわしい人物はいなかった」とまで評された音楽家であり、それゆえに後任の選定試験は一度では終わらず、何度も続けられた。

指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンは「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者にヘッツェルという人物がいるが、評価できる人物だ。彼はいつでも私に注目しており、自分の楽譜を見ていないのではないかと不安になってしまう。もっとも、彼の楽譜はすでに頭の中にあるのだろう」と述べており、同じく指揮者で、ヘッツェルにとって最後となってしまったコンサートを指揮したリッカルド・ムーティは「彼は座ってはいなかった。むしろ飛んでいるようだった。指揮者が気にいると、もう目を離さない。演奏しながらこちらを見る目つきを、私は生涯忘れないだろう」と述べている。

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