ショパン国際ピアノ・コンクール
Chopin International Piano Competition

ショパン国際ピアノ・コンクール(波:Miedzynarodowy Konkurs Pianistyczny im. Fryderyka Chopina)は、ポーランドで現存する国際音楽コンクールの一つ。

国際音楽コンクール世界連盟メンバー。日本語表記による正式名称はフレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール。

概要

第一次世界大戦の終結を経てポーランドが一国家として独立してから9年後にあたる1927年に第1回大会を開催。現存する国際音楽ピアノコンクールの中では世界最古とされており、現在はポーランド国立ショパン研究所がコンクールを主催している。

ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールやフランスのロン=ティボー国際コンクール等と共に、1957年に発足した国際音楽コンクール世界連盟(ユネスコ国際音楽評議会メンバー)の設立メンバーの一員となっている。

ポーランド生まれの作曲家兼ピアニストで「ピアノの詩人」の異名でも知られるフレデリック・ショパンの解釈者を発掘することを開催理念として掲げており、また大会名に”ピアノコンクール”の文言が入っていることもあってか、コンクール自体はピアノ部門のみの開催で、且つ課題曲は全てショパン作品で占めていることが特徴。

音楽コンクールの最高峰と目されており、ロシアのチャイコフスキー国際コンクール、ベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールと共に「世界三大コンクール」と称されている。

コンクール略歴

ワルシャワ音楽院のイェジ・ジュラヴレフ教授は、第一次世界大戦で荒廃した人々の心を癒し、当時フランス音楽と考えられていたショパンの音楽をポーランドに取り戻して愛国心を鼓舞しようと考え、コンクールの創設を思い立った。1927年に第1回大会を開催。第二次世界大戦中に中断があったが、その後5年おきにショパンの命日である10月17日の前後3週間に開催されている。旧東欧(現在の中東欧)で開催される国際コンクールが、21世紀を迎えても続いている稀な例である。

共産主義のポーランド人民共和国時代、1955年の第5回コンクールまでの優勝者は、ポーランドかソ連の出身者によって占められていた。しかし1960年の第6回コンクールで西側諸国出身者1名、イタリア人のマウリツィオ・ポリーニが優勝し、西側諸国出身者の優勝者が出るようになったのはこれ以降の事である。1990年の第12回と1995年の第13回では2回続いて第1位優勝者が輩出されないという状況となったが、2000年の第14回に優勝者が15年ぶりに選出された(中国のユンディ・リ)。

2005年の第15回コンクール以降はインターネットで映像がリアルタイム配信されている。
2020年に開催予定だった第18回は、新型コロナウイルスの影響で翌2021年10月に延期された。

ルール

課題曲は、すべてショパンの作品となっている。コンクール出場資格は16歳以上30歳以下の年齢制限がある。これも2005年に27歳以下であった制限が、2010年に緩和されて今に至る。

より好ましい審査のために、毎回根本的な見直しが図られている。例えば、かつて24の前奏曲は抜粋演奏にならざるを得なかったが、この頃はこれを全曲通奏できるように変わってきた。第一次にノクターン、第二次にワルツ、第三次にマズルカを課すルールを2005年にやめたことがあり、批判を受けて元に戻した。

近年の審査は下記の段階を踏まれる。1と2は募集締め切り後の早期に終えられ、通過した者だけが準備を進めることとなり、3~6は開催期間中に実施される。

1. 予備審査:書類提出(国際的に著名な教授かピアニストの推薦状と音楽歴), DVD提出
2. 予備予選:現地演奏(開催期間前)
3. 一次予選
4. 二次予選
5. 三次予選(準本選)
6. 本選:ピアノ協奏曲

使用コンサートフルグランドピアノ

どのメーカーのモデルも、まんべんなく使われていることが特徴である。

現行公式ピアノ

かつての公式ピアノ

受賞者(3位まで)

第1回 (1927年)

第2回 (1932年)

第3回 (1937年)

第4回 (1949年)

第5回 (1955年)

第6回 (1960年)

第7回 (1965年)

第8回 (1970年)

第9回 (1975年)

第10回 (1980年)

第11回 (1985年)

第12回 (1990年)

第13回 (1995年)

第14回 (2000年)

第15回 (2005年)

第16回 (2010年)

第17回 (2015年)

第18回(2021年に延期)

日本との関わり

原智恵子が聴衆の抗議で入賞してから日本での知名度が急速に上がり、このコンクールを目指す日本人は多い。

日本人の入賞者

日本人の審査員

Wikipedia

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