チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」 "Pathetique" 1st movement Adagio - Allegro non troppo

指揮: ヘルベルト・フォン・カラヤン Herbert von Karajan
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker
Concert in 1984 at Musikverein Vienna

 

交響曲第6番はチャイコフスキー最後の大作であり、その終楽章を始め彼が切り開いた独自の境地が示され、19世紀後半の代表的交響曲のひとつとして高く評価される。
チャイコフスキー自身は最終楽章にゆっくりとした楽章を置くなどの独創性を自ら讃え、初演後は周りの人々に「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と語るほどの自信作だった。

副題の日本語訳に関しては諸説がある。曰く、チャイコフスキーがスコアの表紙に書き込んだ副題はロシア語で「情熱的」「熱情」などを意味する "патетическая"(パテティーチェスカヤ)である故に「悲愴」は間違いである、というものであるが、チャイコフスキーはユルゲンソンへの手紙などでは一貫してフランス語で「悲愴」あるいは「悲壮」を意味する"Pathetique" (パテティーク)という副題を用いていた ため、一概に誤りとは言えない。ベートーヴェンの『悲愴』ソナタも、作曲者自身によって付けられた副題はフランス語の "Pathetique" である。もっとも、その両者とも語源はギリシャ語の "Pathos"(パトス)であり、 "Passion"(受難曲) も同ギリシャ語に由来するものなので、ニュアンスとしては関連性がある。
ただし、「悲愴」と「悲壮」はまた意味を異にする(前者は「悲しくも痛ましい」、後者は「悲しくも勇ましい」)ため、フランス語から日本語「悲愴」への翻訳もまた単純に誤りとも正しいとも言えない。なぜなら、フランス語やロシア語にある意味の一つでもある「熱情」をも含んだ日本語訳には、それに適した言葉がなく、邦訳が難しいためである。
いずれにしても、命名した時にはチャイコフスキー本人はあくまでもこの曲のイメージのみで発想したもので、死ぬ気や遺言などとして作曲したつもりもまったくなかった。

第1楽章 Adagio - Allegro non troppo 序奏付きソナタ形式、ロ短調
本人が語ったようなレクイエム的な暗さで序奏部が始まる。やがてここから第一主題が弦(ヴィオラとチェロの合奏だが、両パートの奏者の半分のみでどこか弱弱しい)によって現れる。この部分は彼のリズムに関する天才性がうかがえる。第1主題が発展した後、続く第2主題は、五音音階による民族的なものであるが、甘美で切ない印象を与える。小結尾主題とも第2主題第2句とも言えるような、やはり淋しい主題を挟んで再び第2主題が戻り、静かに提示部が終わる。
全合奏でいきなり始まる展開部はアレグロ・ヴィーヴォで強烈で劇的な展開を示す。そのまま、再現部となり、第1主題がトゥッティで厳しく再現されるが、提示部のような発展のかわりに、苦悩を強めた絶望的な経過部がきて、第1主題に基づいた全曲のクライマックスとも言うべき部分となり、トロンボーンにより強烈な嘆きが示される。やがてロ長調で第2主題が現れるが再現は第1句のみで、そのまま儚いコーダが現れるがもはや気分を壊さず、全てを諦観したような雰囲気の中で曲は結ばれる。

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