チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番 作品23

指揮: ヴィクトル・ドゥブロフスキー Victor Dubrovsky
ソビエト国立交響楽団 USSR State Symphony Orchestra
ピアノ: エミール・ギレリス Emil Gilels  1966

ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23はピョートル・チャイコフスキーが、友人のモスクワ音楽院院長のニコライ・ルビンシテインに刺激を受け、初めて作曲したピアノ協奏曲である。

1874年11月から1875年2月にかけて作曲された。
チャイコフスキーは当初ニコライ・ルビンシテインを初演者と目し、彼に献呈しようと考え、1874年のクリスマスにこの作品の草稿の段階でルビンシテインともう2人の楽友に聞かせたところ、ルビンシテインから思いがけず「この作品は陳腐で不細工であり、役に立たない代物であり、貧弱な作品で演奏不可能であるので、私の意見に従って根本的に書き直すのが望ましい」と激しく非難された。チャイコフスキーは友人であるルビンシテインの言葉に従わず、この非難の後、セルゲイ・タネーエフへの献呈を目して作曲を進め、オーケストレーションが完成した後で、ドイツ人ピアニスト・指揮者のハンス・フォン・ビューローへ献呈した。ビューローはこの作品を「独創的で高貴」と評した。

1875年10月25日、ハンス・フォン・ビューローのピアノとベンジャミン・ジョンソン・ラングの指揮によりアメリカのボストンにて初演され、大成功を収めた。この様子はビューローからチャイコフスキーの元に電報で知らされた。後に、ビューローは自分のレパートリーからこの協奏曲をはずした。

ロシア初演は、世界初演の1週間後、サンクトペテルブルクにおいて、ロシア人ピアニストのグスタフ・コスとチェコ人指揮者のエドゥアルド・ナプラヴニークによって行われた。

モスクワ初演はニコライ・ルビンシテインの指揮、セルゲイ・タネーエフのピアノによって行われた。ルビンシテイン自身、その後何度も独奏ピアノを受け持って、この協奏曲を世に知らしめる役割を果たした。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番

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