指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン Herbert von Karajan
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker
Rec. 1959 Sofiensaal ゾフィエンザール Vienna
『ツァラトゥストラはこう語った』(ドイツ語: Also sprach Zarathustra) 作品30は、リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した交響詩。『ツァラトゥストラはかく語りき』とも訳される。
フリードリヒ・ニーチェの同名の著作にインスピレーションを得て作曲されたが、原作の思想を具体的に表現したというわけではなく、原作のいくつかの部分を選び、そこから受けた印象・気分を表現している。
1896年11月27日、フランクフルトで、作曲者指揮の第4回ムゼウム協会コンサートにて初演された。
初演時から賛否両論に分かれ、評論家エドゥアルト・ハンスリックや作曲家フーゴー・ヴォルフは非難し、作家ロマン・ロランや指揮者アルトゥル・ニキシュは好意的であった。
日本初演は1934年10月30日、奏楽堂にてクラウス・プリングスハイム指揮、東京音楽学校の管弦楽団によって行われた。この時、『アルプス交響曲』も日本で初めて演奏されている。
楽曲の構成
全体は9部からなり、切れ目なしに演奏される。基本的には自由な形式をとるが、主題の対立や展開、再現などの図式を含むことからソナタ形式の名残を見ることもできる。演奏時間は約33分である。
冒頭部分の使用例
映画『2001年宇宙の旅』冒頭で第1部「導入部」が使われていることは非常によく知られている。冒頭シーンを模倣し日食などの天体現象を図案化したデザインがレコード~CDジャケットで多用されるほどこの映画が楽曲に与えた影響は強い。使用された演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるデッカ盤。ウィーン・フィルとの共演を望みデッカの録音技術に惚れ込んでいたというカラヤンがそれまで専属だったEMIと並行する形で契約した最初の録音である(ウィーン・フィルがデッカ専属だったため。また同時期にドイツ・グラモフォンとの録音も本格的に開始している)。映画で使用された冒頭部最後のパイプオルガンの和音は録音会場となったウィーンのゾフィエンザールにオルガンが無かったため、郊外の小さな教会で収録しミキシングされた。キューブリック監督からの使用申請に対しデッカの経営陣が指揮者・演奏団体を表記しない事を条件にしたため、映画が成功し競合他社も争うようにこの曲のレコードを発売してデッカは大変な損失を被った。カラヤンもデッカと製作会社MGMの告訴を検討したほどであった。最初に発売されたサウンドトラック盤にも映画とはまったく違うカール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の録音が収録されていた(そのため、この演奏が映画でも用いられているという誤情報も一部流布した)が、最新のサウンドトラックCD (EMI) にはカラヤン指揮のデッカ録音があらためて収録されている。
上記場面(映画『2001年宇宙の旅』冒頭)のパロディとして作られた『メル・ブルックス/珍説世界史PARTI』の該当シーンにも当然のように使われていた。
日本では『2001年宇宙の旅』公開より遥か前の1943年、日本ニュース第179号において大東亜会議開幕のシーンでこの曲を使用していた。日本ニュースではこの曲を使っている場面がいくつか見られる。
この部分は、プロレス界ではリック・フレアーのテーマ曲として世界的に知られている(日本ではボブ・サップのテーマ曲)。リック・フレアーの娘であるシャーロット・フレアーのテーマ曲にもアレンジした形で使われている。ポピュラー音楽では、1970年代のエルヴィス・プレスリーの公演のオープニングにしばしば使用されており、日本でも寺内タケシとブルージーンズがステージのオープニングに時折使用した他、1985年に嘉門達夫がリリースした『アホが見るブタのケツ』の冒頭部にも使用されている。「ビバ・エルビス」では本曲に「ザッツ・オーライト」などの掛け声や笑い声、ウッド・ベースや様々な曲のドラムをミックスし、ファンの掛け声や喚声、ラジオDJの言葉やエルビスを紹介するエド・サリヴァンらの声をサプリングしてオープニングに使用している。
冒頭部のオルガンの低音は、LPレコード時代には録音技術者泣かせとして知られる一方、優秀録音盤がしばしばオーディオ機器のデモンストレーションに用いられた。
1972年、ブラジル出身のジャズ・キーボード奏者 / アレンジャー、デオダートのアレンジによるクロスオーバー作品も、ポップスとしてヒットした。同様のアレンジは他にパーシー・フェイスやディープ・パープルも行っている。
高校野球の応援歌としてもPL学園高校が使用している。