プッチーニ:オペラ「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」"O mio babbino caro"

ソプラノ:ルチア・ポップ Lucia Popp

「私のお父さん」(イタリア語: O mio babbino caro)は、ジャコモ・プッチーニが作曲し、ジョヴァッキーノ・フォルツァーノがリブレット(オペラ台本)を書いた1918年初演のオペラ『ジャンニ・スキッキ』の中で、ソプラノが歌うアリア。比較的短いアリアであるため、アリエッタ (arietta) として言及されることもある。

ラウレッタの父スキッキと、彼女が想いを寄せる青年リヌッチョの家族との緊張が高まり、彼女とリヌッチョの仲が引き裂かれそうになったところで、ラウレッタが歌う曲である。中世フィレンツェの偽善、嫉妬、裏切り、争いといった雰囲気とはまったく対称的に、素朴な情感と愛が詩情をもって歌われる。通作歌曲形式によるこのオペラ作品の中でも、一番の聴かせどころとなっている定番曲である。『ジャンニ・スキッキ』の中でも最も広く知られた曲である。

日本語では、「わたしのお父さん」、「私のお父様」、「わたしのいとしいお父さん」、「私のやさしいお父さん」、「わたしの優しいお父さん」、「オオ・ミオ・バッビーノ・カーロ」、「オ・ミオ・バッビーノ・カロ」などの曲名で言及されることがある。

おもな演奏、録音
1918年12月14日、『ジャンニ・スキッキ』の世界初演でラウレッタを演じたフローレンス・イーストン。 このアリアを公演で最初に披露したのは、1918年12月14日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場における『ジャンニ・スキッキ』の世界初演に出演したフローレンス・イーストンで[7]、彼女はその少し前の時期にあたるエドワード朝のイングランドで人気の高いソプラノ歌手だった。以降、多数のソプラノ歌手がこの曲を歌っている。

イギリスのソプラノ歌手、デイム・ジョーン・ハモンド(英語版)が英語の歌詞で「O My Beloved Daddy」として歌ったバージョンは、78回転盤(SP盤)の時代から45回転盤シングルの時代にかけて長く流通した。彼女は、この曲のレコードを百万枚以上売り上げたとして1969年にゴールドディスクを獲得した。

このアリアは、ポピュラー音楽やクロスオーバーの歌手たちもしばしばコンサートで取り上げ、リサイタルのアンコールなどで歌っている。
マルコム・マクラーレンは、オペラの楽曲のリミックスを集めた1984年のアルバム『ファンズ (Fans)』に、この曲をもとにしたトラック「Lauretta」を収録した。

この短いアリアは、32小節から成り、2分あまり、ないしは、2分半から3分ほどで演奏される。変イ長調、8分の6拍子で書かれており、速度記号は「andantino ingenuo」 (eighth note = 120) となっている。声域は、E♭4からA♭5を要し、テッシトゥーラは F4からA♭5の範囲である。オーケストラによる5小節の前奏は変ホ長調、4分の3拍子で、ストリングスによるオクターブのトレモロで構成されている。オペラの作中では、この5小節は、リヌッチョとのやり取りの後で、ジャンニ・スキッキの台詞が徐々に弱まっていくところにかかる。リサイタルなどで単独の曲として演奏される場合の編曲では、主題となる旋律の提示で始まることが多い。伴奏にはストリングスに加え、アルペッジョを奏でるハープが用いられる。

歌詞 イタリア語 原詞 大意

O mio babbino caro,
mi piace, e bello, bello,
Vo'andare in Porta Rossa
a comperar l'anello!

Si, si, ci voglio andare!
E se l'amassi indarno,
andrei sul Ponte Vecchio,
ma per buttarmi in Arno!

Mi struggo e mi tormento!
O Dio, vorrei morir!
Babbo, pieta, pieta!
Babbo, pieta, pieta!
ああ、私の愛しいお父さん
私は彼を愛しているの、彼は素敵、素敵
ポルタ・ロッサへ行きたいの
指輪を買いに

そうよ、そうなの、私は行きたい
そしてもし、彼への愛が無駄になったら
私はヴェッキオ橋に行って
アルノ川に身を投げてしまいたい

私は苦しんで、耐えてきたの
ああ、神様、私は死にたい
お父さん、許して、許して
お父さん、許して、許して
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