マーラー: 交響曲 第5番 嬰ハ短調 第1楽章 葬送行進曲

指揮: クラウディオ・アバド Claudio Abbado
オーボエ:吉井 瑞穂
ルツェルン祝祭管弦楽団 Lucerne Festival Orchestra, 2004

I. 第一部
 第1楽章 Traeurmarsch. In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt

交響曲第5番 嬰ハ短調は、グスタフ・マーラーが1902年に完成した5番目の交響曲。5楽章からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、ウィーン時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。
1970年代後半から起こったマーラー・ブーム以降、彼の交響曲のなかで最も人気が高い作品となっている。その理由としては、大編成の管弦楽が充実した書法で効果的に扱われ、非常に聴き映えがすること、音楽の進行が「暗→明」というベートーヴェン以来の伝統的図式によっており、マーラーの音楽としては比較的明快で親しみやすいことが挙げられる。とりわけ、ハープと弦楽器による第4楽章アダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティ監督による1971年の映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われ、ブームの火付け役を果たしただけでなく、マーラーの音楽の代名詞的存在ともなっている。
第2番から第4番までの3作が「角笛交響曲」と呼ばれ、声楽入りであるのに対し、第5番、第6番、第7番の3作は声楽を含まない純器楽のための交響曲群となっている。第5番で声楽を廃し、純器楽による音楽展開を追求するなかで、一連の音型を異なる楽器で受け継いで音色を変化させたり、対位法を駆使した多声的な書法が顕著に表れている。このような書法は、音楽の重層的な展開を助長し、多義性を強める要素ともなっており、以降につづく交響曲を含めたマーラーの音楽の特徴となっていく。
また、第5番には同時期に作曲された「少年鼓手」(『少年の魔法の角笛』に基づく)や、リュッケルトの詩に基づく『亡き子をしのぶ歌』、『リュッケルトの詩による5つの歌曲』と相互に共通した動機や曲調が認められ、声楽を含まないとはいえ、マーラーの歌曲との関連は失われていない。さらに第4番以降しばしば指摘される「古典回帰」の傾向についても、後述するようにそれほど単純ではなく、書法同様の多義性をはらんでいる。
 
全5楽章からなるが、第1楽章と第2楽章を「第一部」とし、第3楽章を「第二部」、第4楽章とつづく第5楽章を「第三部」とする三部構成が楽譜に表示されている。
第1楽章 In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt.
葬送行進曲 Traeurmarsch(正確な速さで〈tempo giust=心拍の速さで の意味〉。厳粛に。葬列のように) 嬰ハ短調 2/2拍子 二つの中間部を持つABACAの形式(小ロンド形式) 最後のAは断片的で、主旋律が明確に回帰しないため、これをコーダと見て、ABAC+コーダとする見方もある。 交響曲第4番第1楽章で姿を見せたトランペットの不吉なファンファーレが、重々しい葬送行進曲の開始を告げる。主要主題は弦楽器で「いくらかテンポを抑えて」奏され、付点リズムが特徴。この主題は繰り返されるたびに変奏され、オーケストレーションも変化する。葬送行進曲の曲想は『少年の魔法の角笛』の「少年鼓手」との関連が指摘される。一つの旋律が異なる楽器に受け継がれて音色変化するという、マーラーが得意とする手法が見られる。再びファンファーレの導入句がきて、主要主題が変奏される。さらにファンファーレが顔を出すと、「突然、より速く、情熱的に荒々しく」第1トリオが始まる。第1トリオ(B)(変ロ短調)は激しいもので、やがてトランペットがファンファーレを出して、主部が回帰する。主要主題は今度は木管に出る。終わりには、『亡き子をしのぶ歌』の第1曲「いま太陽は晴れやかに昇る」からの引用があり、ティンパニのきざむリズムが残る。第2トリオ(C)(イ短調)は弦によって始まる陰鬱なもの。重苦しい頂点を築くと、トランペットのファンファーレが三度現れるが、そのまま静まってゆき、最後にトランペットと大太鼓が残って、曲は、静かに結ばれる。 本楽章はマーラー自身による演奏がピアノロールに残されており、その演奏時間は約14分である。
 

交響曲第5番 (マーラー)

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