フォーレ:舟歌 Barcarolles 第1番 ~ 第4番

ピアノ: リュカ・ドゥバルグ Lucas Debargue

Barcarolle No. 1 in A Minor, Op. 26
Barcarolle No. 2 in G Major, Op. 41
Barcarolle No. 3 in G-flat Major, Op. 42
Barcarolle No. 4 in A-flat Major, Op. 44

舟歌(ふなうた、フランス語: Barcarolle)は、近代フランスの作曲家ガブリエル・フォーレ(1845年 - 1924年)が作曲したピアノ曲。全13曲。

舟歌とフォーレ
舟歌とはヴェネツィアのゴンドラ漕ぎの歌に由来する声楽曲または器楽曲で、ピアノ曲では夜想曲や幻想曲、即興曲と並ぶ標題のひとつとなっている。 多くは6/8拍子や12/8拍子の複合拍子をとり、優しくゆったりとしたリズムの上にメロディーを乗せ、河や海を漕ぎゆく舟と揺れ動く波の雰囲気を表わす。 声楽曲ではシューベルトの歌曲が有名であり、ウェーバーやロッシーニ、オッフェンバックらのオペラ作品にも舟歌の様式を持つ音楽が用いられた。 器楽曲では、ショパン、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ラフマニノフらのピアノ作品がある。

こうした中で、ピアノのためにもっとも多く優れた舟歌を作曲したのがフォーレである。 フォーレの舟歌は、同様に13曲書かれた夜想曲とともに、彼の音楽活動ほぼすべての期間を通じて作曲されている。これらはフランス音楽史において、19世紀後半のロマン派後期から20世紀の近代主義へと移行する時代に書かれた。フォーレはまた、声楽作品の分野でもマルク・モニエの詩を用いた歌曲『舟歌』作品7-3(1873年ごろ)やポール・ヴェルレーヌの詩による『ヴェネツィアの5つの歌曲』(1891年)など舟歌の様式を用いた作品を残している。

フォーレが実際にヴェネツィアを訪れたのは舟歌第4番まで作曲後の1891年であるが、1881年に書かれた舟歌第1番のみならず、すでに述べたように創作最初期の歌曲から早くも舟歌の様式上の特徴が現れていることから、20世紀日本の音楽評論家美山良夫は「舟歌の様式はフォーレにとって最も日常的な世界であり、『舟歌』こそ人間フォーレを体現している」と述べている。

フォーレの音楽にしばしば舟歌の要素が見られることについては、フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチ(1903年 - 1985年)も複合拍子の多用という点で舟歌的側面がフォーレの作品に具わっていると指摘している。ジャンケレヴィッチによれば、フォーレの作品の「舟歌的」側面は「夜想曲的」側面と「子守歌的」側面とともに、唯一の安らぎについての三つの様相を言い表したものであり、したがってフォーレの作品においては、曲に付けられた題名からジャンルや分野を明確に限定することは困難である。

ジャンケレヴィッチはさらに、フォーレの歌曲集『イヴの歌』(シャルル・ファン・レルベルグの詩による)から「生命の水」(第6曲)や古代ギリシアの哲学者タレスの言葉とされる「万物は水から生まれ、水に帰る」を引用しつつ、次のように述べている。
「フォーレは、13曲の舟歌において、水の流れを扱うその優れた手腕を通じて、原初の泉と原始の大洋とを結ぶ、すなわち、アルファからオメガへと移行してゆくような重要な大河を表現しようとしていたのではあるまいか。」

第1番 イ短調 作品26 アレグレット・モデラート 6/8拍子
1881年ごろ作曲され、同年、アメル社より出版。初演は1882年12月9日、国民音楽協会の演奏会でサン=サーンスの独奏による。モンティニ=レモリ夫人に献呈された。 A-B-A' の三部形式であり、このうちAの部分はさらに細かくa-b-a' という構成を取る。Aでは内声部にメロディーが配置され、高域と低声部にちりばめられた和声内の音によって、主旋律にベールをかけたような雰囲気を表現する。フォーレはこの手法を好んで用いた[15]。 3つの主題からなり、冒頭に現れる穏やかなリズムが全体を貫いている。このような特徴は、同じころに作曲された即興曲第1番と共通する。フォーレと親しく、舟歌第9番の初演者でもあったピアニストマルグリット・ロンは、この曲について「舟歌第1番は、心に幾度となく浮かんでは消える波の歌を、そして海原の力強い歌を歌う」と述べている。
第2番 ト長調 作品41 アレグレット・クアジ・アレグロ 6/8拍子
1885年8月、フォーレの父トゥサン=トノレの死(7月25日)から間もない時期に作曲された。翌1886年、アメル社より出版。初演は1887年2月19日、国民音楽協会の演奏会でマリ・ポワトヴァンの独奏による。初演者のポワトヴァンに献呈された。 舟歌第2番について、ジャンケレヴィッチは「春の朝のように、新鮮で、若々しく、明るい曲」と述べている[17]。 フォーレの舟歌の中では華やかで外向的な表現が顕著であり、リスト的と評されることもある。1882年にフォーレはチューリヒでリストに会って自作の『バラード』(作品19)を献呈していた。
第3番 変ト長調 作品42 アンダンテ・クアジ・アレグレット 6/8拍子
1885年、舟歌第2番に続いて作曲され、翌1886年、アメル社より出版。初演については不詳である。ロジェ=ジュルダン夫人アンリエットに献呈された。 作品の性格は第2番と異なり、より抑制的で洗練された書法となっている。 舟歌第3番についてジャンケレヴィッチは、フォーレが変ト長調というフラットの多い調を選んだのは、フェルトのように柔らかでふくよかな響きを求めたからだと述べており、マルグリット・ロンは「もの悲しく優しい旋律は、夢想の柔らかい影を投げかける。(中略)揺れ動くリズムは、歌うフレーズとともに、作品に生命を与えている感覚の明らかな自在さの中に飛翔していく」と述べている。
第4番 変イ長調 作品44 アレグレット 6/8拍子
1886年に作曲され、翌1887年、アメル社より出版。初演については不詳である。作曲家エルネスト・ショーソン夫人ジャンヌに献呈された。1886年秋にフォーレは国民音楽協会の会計担当となり、ショーソンは書記に選ばれている。 舟歌第2番、第3番と比べると簡潔で短い。なお、前記オーリッジの区分では舟歌第4番の作曲年は第二期に属すが、作品全体の様式との整合性、一貫性の点から第一期に入るべき作品と見なされる[21]。

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