ブラームス:ドイツ・レクイエム 第3曲 "Herr, lehre doch mich" 「主よ、知らしめたまえ」

指揮: ウォルフガング・サヴァリッシュ Wolfgang Sawallisch
バリトン: フィシャー ディースカウ Dietrich Fischer-Dieskau
May 1989 in Tokyo, NHK Symphony Orchestra

 
Herr, lehre doch mich,
das ein Ende mit mir haben mus.
und mein Leben ein Ziel hat,
und ich davon mus.
Siehe, meine Tage sind
einer Hand breit vor Dir,
und mein Leben ist wie nichts vor Dir.
 
Ach wie gar nichts sind alle Menschen,
die doch so sicher leben.
Sie gehen daher wie ein Schemen
und machen ihnen viel vergebliche Unruhe;
sie sammeln und wissen nicht,
wer es kriegen wird.
Nun Herr, wes soll ich mich trosten?
 
Ich hoffe auf Dich.
 
Der Gerechten Seelen sind in Gottes Hand
und keine Qual ruhret sie an.
主よ、知らしめたまえ、
われに終わり必ずあること、
わが命に末あること、
我この世より必ず去ることを。
視よ、わが日々は
手の幅ほどのものなり、御前にては。
わが命は無のごとし、御前にては。
 
げに、まことに無のごとし、すべての人は、
かれら確かに生きれども。
かれら影がごとく移ろい、
むなしく思い悩む。
かれら積み蓄えるが、知らず、
誰がそれを手にせんかを。
されば主よ、何によりてか、われ己を慰むべし?
 
われは待ち望む、汝を。
 
正しき人の魂は神の御手のうちにあり、
いかなる責め苦もそれらに触れることなし。

ドイツ・レクイエム 作品45(Ein deutsches Requiem op.45)は、ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームスが1868年に完成した、オーケストラと合唱、およびソプラノ・バリトンの独唱による宗教曲。 通常レクイエムはカトリック教会において死者の霊を慰めるための典礼音楽のことであり、ラテン語の祈祷文に従って作曲される。しかし、ブラームスはプロテスタントの信者であり、この曲ではマルティン・ルターが訳したドイツ語版の聖書などに基づいて、ブラームスが自分で選んだテキストを歌詞として使用しているほか、演奏会用として製作され、典礼音楽として使うことは考えられていないのが、大きな特徴として挙げられる。ブラームス自身も、「キリストの復活に関わる部分は注意深く除いた」と語っている。
この曲は1857年頃から書かれ始めた。この曲が構想されたきっかけは、1856年に自らを世に出してくれた恩人ローベルト・シューマンが死去したことにあったと言われている。1857-59年には早くも現在の第2楽章を完成させるが、そこからは進まなかった。しかし、1865年、ブラームスの母が死去し、これが彼に曲の製作を急がせることとなった。
ブラームスの作品としては珍しいほどポリフォニーが巧みに活かされた作品であり、彼の初期作品ピアノ協奏曲第1番の第3楽章にも見られるようなバロック音楽、特に大バッハの影響が顕著に見て取れる。

ドイツ・レクイエム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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