ショパン:バラード 第1番 ト短調 作品23

ピアノ演奏: ウラディーミル・アシュケナージ Vladimir Ashkenazy

 ショパンのバラード1番ト短調(Op.23)は同郷の詩人ミツキェヴィッチが詠んだ歴史物語「リトアニアのバラード」に関係づけられることがありますが,詩と曲の間に明確な対応関係が見られる箇所はないそうです(ウィキペディア).この曲が完成された時期と,この曲が帯びている深い哀愁・抒情性を考えると,私には,恋の喜びと死の幻影が,過去の思い出と将来の絶望が交錯した,哀切な曲であるように思えます.

 ショパン25歳の1935年8月15日,ショパンはカールスバードで5年ぶりに両親と再会して楽しい3週間を過ごします.その帰り道に,ドレスデンでヴォジンスキー伯爵一家と合流し,約1ヶ月をともに過ごします.ショパンは成長していたマリア(16歳)に再会し,エルベ河畔の散策や市内見物などに一緒に出かけて,恋におちいります.旅立ちの日、ショパンはマリアに別れのワルツ(Op.69-1)をマリアに捧げています.マリは花瓶から一輪のバラの花を抜き取って、ショパンに返しました。

 10月,メンデルスゾーンをライプチッヒに訪ねた後,疲労で休息していたハイデルベルグでショパンは喀血します(ワルシャワではショパン死亡のニュースが流れました).10月15日にパリに帰りついて,ショパンは友人ベルリーニ(新進オペラ作曲家)の若すぎる死を知り,激しく落ち込みます.このときおそらくショパンは初めて自分の死を強く意識したと思われます.(すでに1827年,妹エミリアも喀血に悩まされた後に亡くなっていました.)ショパンは心配している両親に手紙も書かずに,メンデルスゾーンやシューマン夫妻の招待も断って,パリに出てきたころ(1931)に着手したこの曲を完成させているのです.

 バラード1番を印象づける第一主題(短調旋律)にはショパンの深い憂いやワルシャワに対する望郷の響きがあります.第一主題(3ヶ所)に挟まれた2カ所の長調部分では,パリでの楽しい思い出,両親と過ごしたカールスバートでの1ヶ月,マリアと過ごしたドレスデンの日々が走馬燈のように駆けめぐっているように思えます.映画の回顧シーンのように現在の憂愁と過去の楽しい思い出が二転三転したあと,暗雲が現れて状況は一変し,情熱のほとばしりと深い絶望が入り組んだコーダ(終結部)へと駆けのぼっていきます.

背景画
1. ショパンを演奏するアシュケナージ
2. ショパン23歳(ヴィニュロン画)
3. ラジヴィル公邸のサロンで演奏するショパン(18歳)
4. ショパン(?歳).ショパンは常に服装や物腰に気をつけ,外見的な上品さを大事にしました(リストは貴公子と評しています).このおしゃれ感覚は作品の中でも随所に現れており,彼のピアノ曲の美しさの真髄でもあります.
5. ショパンのバルコニーから眺めたポワソニエール通り(1834年ころ)。ショパンはこの見晴らしを"世界で一番美しい眺め"と言っています。
6. ショパンが描いたクレヨン画.風車が見えることからモンマルトル付近か?
8. ショパンの恋人マリア・ヴォジンスカ.
9. ショパンがマリアと散歩したドレスデンのエルベ河畔の遊歩道.別れの日、マリアは花瓶から一輪のバラを抜き取り、ショパンに贈りました。
10. ショパンがヴォ人スキー一家を訪ねたマリエンバート.ショパンはドレスデンまで同行し,9月にマリアと内密に婚約しました(1936年)
11. ショパンが使ったピアノ(ショパン協会蔵)
12. ショパン(?歳)
14. ショパンの死後に発見された,マリアからの手紙を包んでいた封筒.表紙には《モイア・ビエダ(わが悲哀)》と記されています.ドレスデンで贈られた萎れたバラの花が添えてあり、色あせたリボンでくくってありました。

Wikipedia

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