シャンソン:愛の讃歌 Hymne a l'amour

歌:越路 吹雪 Fubuki Koshiji 1974

「愛の讃歌」(仏: Hymne a l'amour)は、フランスのシャンソン歌手:エディット・ピアフの歌。作詞はピアフ、作曲はマルグリット・モノー(フランス語版、英語版)による。シャンソンを代表する楽曲として世界中で親しまれている。

本作の歌詞は1947年10月、ピアフがアメリカ初公演時に出会い、恋の相手であったプロボクサー、マルセル・セルダンが1949年10月28日に飛行機事故で亡くなったのを悼んで作られたと言われてきたが、セルダンの生前に書かれたものであることが判明している。相思相愛で誰もが知る仲ではあったが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つために書いたものだと考えられている。レコーディングは1950年5月2日。

本作は人気を集め、ピアフの後も幾度も別の歌手に唄われた(ジョニー・アリディのように歌詞を男性に合わせた場合もあった)。ピアフのトリビュート・アルバムでは、カナダのロック歌手コリー・ハートが歌唱しており、ケベックでは歌手ニコール・マルタンが1976年にアルバムの表題曲にしてヒットした。米国の歌手ジョシュ・グローバンもフランス語歌詞で本作を唄っている。
2007年にはエディット・ピアフの伝記映画が『エディット・ピアフ?愛の讃歌?』のタイトルで公開された。

日本での歌唱
日本では岩谷時子の訳詞(日本語詞)により越路吹雪が唄ったものが特に有名である。越路版の「愛の讃歌」が収録されているCDなどの売上はトータルで200万枚以上に達し、越路の代表曲の一つとなり、生涯の持ち歌にもなった。また、1969年の『第20回NHK紅白歌合戦』では越路によって「愛の讃歌」が歌唱された。

越路が「愛の讃歌」を唄うようになったのは、1952年に出演した日劇シャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌としての歌唱が始まりであった。越路のマネージャーでもあった岩谷が訳詞したが、岩谷にとって訳詞・作詞はこれが初めてであった。岩谷はその後も越路の楽曲の訳詞を手がけ、さらには作詞家として数々のヒット曲を手がけることになった。

岩谷の詞は原詞にある「愛のためなら宝物を盗んだり自分の国や友達を見捨てることも厭わない」という背徳的な内容とは異なったものとなっている。しかし、岩谷が甘い歌詞で日本人向けに大胆に訳したことで結婚披露宴などでも唄われ、日本でも本作が広く親しまれるようになった。この岩谷詞は、後には本田美奈子.がアルバムで取り上げた他、桑田佳祐も日本生命のテレビCM の中でアカペラで歌唱するなど、数多くの歌手が唄っている。

一方、岩谷詞より知名度は低いものの、永田文夫による日本語詞は比較的原詞の意味に忠実な内容となっており、岸洋子や美川憲一が歌唱している(美川は岩谷詞と併せて唄っており、『第56回NHK紅白歌合戦』では岩谷の詞で歌唱している。岸洋子も越路没後は岩谷詞で歌っている)。美輪明宏は原詩の内容を忠実に伝えたいという意図の下で自ら訳した日本語詞を台詞として吟じたあと、フランス語の原詞で歌うというスタイルを取っている(自身の作詞による日本語詞バージョンもある)。また、さらに知名度が低いが、それ以外にも淡谷のり子が唄った井田誠一の訳詞や美空ひばりが唄った水島哲の訳詞などもある。加藤登紀子、宇多田ヒカルは自分で訳詞したものを唄っており、原曲に近い内容の詞作になっている。

Wikipedia

inserted by FC2 system