テネシーワルツ Tennessee Waltz

歌: パティ・ペイジ Patti Page

Lyrics
I was waltzin' with my darlin' to the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
Introduced her to my loved one
And while they were waltzinn'
My friend stole my sweetheart from me
I remember the night and the Tennessee Waltz
Now I know just how much I have lost
Yes, I lost my little darlin' the night they were playing
The beautiful Tennessee Waltz

1946年、ピー・ウィー・キングおよび彼のバンドのゴールデン・ウエスト・カウボーイズがテネシー州ナッシュビルで『グランド・オール・オープリー』に出演するためリムジンで移動中、彼と歌手のレッド・スチュワートは共同で作曲を行なっていた。カーラジオからビル・モンローの新曲『ケンタッキー・ワルツ(Kentucky Waltz )』が流れてきた。キングと他のミュージシャンたちは鼻歌でキングのテーマ曲『No Name Waltz 』(名もなきワルツ、の意)を歌い、スチュワートはマッチ箱に歌詞を書いていった。翌日、キングとスチュワートは音楽出版事業者のフレッド・ローズに『テネシー・ワルツ』を聴かせると、ローズは歌詞を「O the Tennessee waltz, O the Tennessee Waltz 」(おおテネシー・ワルツ、おおテネシー・ワルツ))から「I remember the night and the Tennessee Waltz 」(あの夜、そしてテネシー・ワルツを忘れない)に変更した。キングとゴールデン・ウエスト・カウボーイズが『テネシー・ワルツ』をレコーディングできるようになるまで時間がかかったが、1947年12月2日、イリノイ州シカゴにあるRCAヴィクター・スタジオでようやくレコーディングすることができた。ゴールデン・ウエスト・カウボーイズ版が発売された直後、ゴールデン・ウエスト・カウボーイズの元ヴォーカリストのカウボーイ・コパズ版がキング・レコードから発売された。1948年春から夏にかけて、どちらも『ビルボード』誌のカントリー・チャートでヒットし、キングのゴールデン・ウエスト・カウボーイズ版は第3位、コパズ版は第6位を獲得した。

1950年終盤、パティ・ペイジがクリスマス曲『Boogie Woogie Santa Claus 』のB面として『テネシー・ワルツ』をレコーディングし、マーキュリー・レコードから出版された。『ビルボード』誌の評論家であったジェリー・ウェクスラーがアースキン・ホーキンスによる新たなリズム・アンド・ブルース版をペイジのマネージャーのジャック・ラエルに紹介し、ペイジの父親が好んでいたカントリー・アンド・ウエスタン版としてペイジ自身が選曲したとされる。1950年11月、ペイジはニューヨークでのセッションでラエル指揮によるオーケストラと共に演奏した。ペイジのシングルはヴォーカルが三声で多重録音された。1950年11月10日、ペイジ版の『テネシー・ワルツ』は『ビルボード』誌のポップ・チャートにランクインし、12月30日以降9週連続第1位を 獲得して、計30週チャートにランクインし続けた。ペイジ版は当初『Boogie Woogie Santa Claus 』のB面であったが、『テネシー・ワルツ』がA面となったためB面は『Long Long Ago 』となった。ポップで活動していたペイジにとって、『テネシー・ワルツ』でカントリー・チャートにおいて第2位を獲得したのが彼女にとって最高記録となった。

ペイジ版の成功により、その後出版されたキャピトル・レコードのレス・ポールwithメアリー・フォード版が第6位、コロムビア・レコードのジョー・スタフォード版が第7位を獲得するなどトップ10にランクインした。ポール版の『テネシー・ワルツ』は両A面であり、別面の『Little Rock Getaway 』は第18位を獲得した。1950年11月、フォンテイン・シスターズにとって、ニューヨークにあるRCAヴィクター・スタジオでの『テネシー・ワルツ』が初の単独レコーディングとなり、トップ20にランクインした。またピー・ウィー・キング版が再発売され、カントリー・チャートで第6位を獲得した。

さらにデッカ・レコードのガイ・ロンバードと彼のロイヤル・カナディアンズ版の他、イギリスではペトゥラ・クラーク版、日本では江利チエミ版が出版された。

1950年12月30日から1951年2月3日まで、ペイジ版、スタフォード版、ロンバード版、ポール/フォード版の総計が『キャッシュボックス』のチャートで第1位を獲得し続けた。

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