ベートーヴェン:交響曲 第9番 第4楽章 "Ode an die Freude 歓喜の歌"

指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー Wilhelm Furtwängler
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker
ウィーン・ジングアカデミー合唱団 Wiener Singakademie
収録:ウィーン・楽友協会大ホール Wien, Musikvereinssaal 07.I.1951

第1楽章 第2楽章 第3楽章 第4楽章

  

独唱者(ソリスト)
ソプラノ:イルムガルト・ゼーフリート Irmgard Seefried
アルト:ロゼッテ・アンダイ Rosette Anday
テノール:ユリウス・パツァーク Julius Patzak
バス:オットー・エーデルマン Otto Edelmann

第4楽章
管弦楽が前の3つの楽章を回想するのをレチタティーヴォが否定して歓喜の歌が提示し、ついで声楽が導入されて大合唱に至るという構成。変奏曲の一種と見るのが一般的であるが、有節歌曲形式の要素もあり、展開部を欠くソナタ形式という見方も可能である("Freude, schoner Gotterfunken"が第1主題、"Ihr, sturzt nieder"が第2主題、Allegro energico, sempre ben marcatoが再現部)

フルトヴェングラーと第九
指揮者フルトヴェングラーは第二次世界大戦前、1911年から1940年まで既に61回『第九』を指揮したとされる。その解釈は荘厳、深遠でありながら感情に流され過ぎず、友人でもあった音楽学者ハインリヒ・シェンカーの分析からも影響を受けている。第4楽章330小節のフェルマータを非常に長く伸ばし同時間の休止を設けるというワーグナー由来の特徴も見られ、自身の著作でも第1楽章の開始を宇宙の創世と捉えるなど後の世代にも影響を与えたが、後の世代の演奏はトスカニーニ流の明晰な演奏が主流となり、ブルックナー開始を思わせるフルトヴェングラーの解釈は、現在ではベートーヴェンにしてはあまりに後期ロマン主義的、神秘主義的に過ぎる、とされることが多い。 第二次世界大戦中ドイツに留まり活動していたフルトヴェングラーは1942年4月19日、ヒトラーの誕生日前日に『第九』を指揮しゲッベルスと握手する姿が映画に撮影されるなど政治宣伝に利用され、戦後連合国からナチスとの関わりを責められ一時活動の機会を失う事になった。
1951年7月末、終戦後初のバイロイト音楽祭でフルトヴェングラーは『第九』を指揮し再開を祝した。他の演目を録音しに訪れていたレコード会社デッカのスタッフも出演者たちも、この第九に常軌を逸した緊張感を覚えたと語っている。しかし録音そのものは1951年当時の技術水準(ステレオ録音も不可能ではなかった)を考慮しても鮮明さを欠いたものであった。もともとこの演奏のレコード化は正規のものではなく、発売元となったEMIのプロデューサーウォルター・レッグはフルトヴェングラーから録音を拒否されていた(表向きは「バイロイトの音響が録音向きではないから」としているが、当時EMIはフルトヴェングラーが忌み嫌っていたカラヤンと友好関係にあり、フルトヴェングラーの信頼を失いつつあった)。そのためフルトヴェングラーの生前には発売されなかった上、録音テープが廃棄されかかったという逸話もある。
しかしフルトヴェングラーの死後にEMIからレコードとして発売されると、日本の評論家達は大絶賛し、今でも「第九のベスト演奏」に挙げられることが多い。録音に問題ありという認識の裏返しでEMIから音質の改善を謳ったCDが何種類も発売されており、初期LPから復刻したCDも複数の企画がある。

交響曲第9番 (ベートーヴェン)

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