ベートーヴェン: 交響曲 第5番 ハ短調 作品67 「運命」

指揮: カール・ベーム Karl Böhm
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker
Japan Live series, 1977

交響曲第5番 ハ短調 作品67はベートーヴェンの作曲した5番目の交響曲である。日本では一般に「運命」と呼ばれ、クラシック音楽の中でも最も有名な曲の1つである。
ロマン・ロランの評するいわゆる「傑作の森」の一角をなす作品である。この作曲家の作品中でも形式美・構成力において非常に高い評価を得ており、ベートーヴェンの創作活動の頂点のひとつと考えられている。
ベートーヴェンの交響曲の中でも最も緻密に設計された作品であり、その主題展開の技法や「暗から明へ」というドラマティックな楽曲構成は後世の作曲家に模範とされた。
なおピアノソナタ第23番『熱情』などが、主題や構成の面から関連作品と考えられている。

『運命』という名称
本交響曲は、日本では『運命』または『運命交響曲』という名称で知られているが、これは通称であってベートーヴェン自身による正式な命名ではない。
この通称は、ベートーヴェンの弟子アントン・シンドラーの「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対し「このように運命は扉をたたく」とベートーヴェンが答えた(後述)ことに由来するとされる。しかし、シンドラーはベートーヴェンの「会話帳」の内容を改竄していたことが明らかになっており、信憑性に問題がある。 学術的な妥当性は欠くものの、日本では現在でも『運命』と呼ばれることが多い。海外においても同様の通称が用いられることがある。こうした事例は本作に限ったものではなく、他の作品にもある。

評価と影響
交響曲第5番は初演こそ失敗に終わったが、評価はすぐに高まり多くのオーケストラのレパートリーとして確立されていった。また、後世の作曲家にも大きな影響を与え、ヨハネス・ブラームス(交響曲第1番で顕著)やピョートル・チャイコフスキー(交響曲第4番、第5番で顕著)といった形式美を重んじる古典主義的な作曲家ばかりでなく、エクトル・ベルリオーズやアントン・ブルックナー、グスタフ・マーラーのような作曲家も多大な影響を受けている。
ベートーヴェン以降は「第5」という数字は作曲家にとって非常に重要な意味を持つ番号となり、後世の交響曲作曲家はこぞって第5交響曲に傑作を残している。とりわけブルックナー、チャイコフスキー、マーラー、シベリウス、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ヴォーン・ウィリアムズのものは特に有名であり名作として知られている。

曲の構成:交響曲の定型通り、4つの楽章で構成されている。演奏時間は約35分。
「暗から明へ」という構成をとり、激しい葛藤を描いた第1楽章から瞑想的な第2楽章、第3楽章の不気味なスケルツォを経て、第4楽章で歓喜が解き放たれるような曲想上の構成をとっている。

第1楽章 Allegro con brio ハ短調、4分の2拍子、ソナタ形式(提示部反復指定あり)。
「ジャジャジャジャーン」、もしくは「ダダダダーン」という有名な動機に始まる。これは全曲を通して用いられるきわめて重要な動機である。特に第1楽章は楽章全体がこの「ジャジャジャジャーン」という動機に支配されており、ティンパニも終始この動機を打つ。
冒頭の動機は演奏家の解釈が非常に分かれる部分である。ゆっくりと強調しながら演奏する指揮者もいれば、Allegro con brio(速く活発に)という言葉に従ってこの楽章の基本となるテンポとほぼ同じ速さで演奏する指揮者もいる。往年の大指揮者には前者の立場が多く、この演奏スタイルがいわゆる「ダダダダーン」のイメージを形成したと考えられる。しかし、近年では作曲当時の演奏スタイルを尊重する立場から後者がより好まれる傾向にある。ハインリヒ・シェンカーによると、この8音は全体でひとつの属和音のような機能を果たしており、最後のD音に最も重点があるとされている。
この動機を基にした主題を第1主題として、古典的なソナタ形式による音楽が展開される。第2主題は、ソナタ形式の通例に従い第1主題とは対照的な穏やかな主題が採用されている。ただし第2主題提示の直前に、ホルンが第2主題の旋律の骨格を運命の動機のリズムで提示することで第1主題部から第2主題部へのスムーズな連結が図られ、ふたつの主題を統制する役割を果たしている。また、第2主題においても運命の動機のリズムが対旋律としてまとわり付く。この楽章は動機の展開技法に優れたベートーヴェンの、最も緊密に構成された作品のひとつとなっている。
なお、ソナタ形式における提示部の繰り返しの有無は演奏家の解釈によってさまざまだが、この楽章の提示部の繰り返しが省略されることはほとんどない。例外として、ブルーノ・ワルターが反復せずに演奏している他、アルトゥーロ・トスカニーニの放送録音の中にも反復なしの演奏がある。
提示部では、第2主題が提示される直前に、ハ短調の主和音(C、Es、G)からC、Es、Ges、Aからなる減七の和音に移行し、それが変ホ長調のドッペルドミナントとして機能し、変ホ長調の属和音に解決して、第2主題がハ短調の平行長調の変ホ長調で現される。対して再現部では、対応する箇所で、ハ短調の主和音(C、Es、G)から同じ減七の和音に移行するが、Gesが異名同音のFisで表記され、今度はそれがハ長調のドッペルドミナントとして機能し、ハ長調の属和音に解決して、第2主題がハ短調の同主調、ハ長調で再現される。
第2楽章 Andante con moto 変イ長調、8分の3拍子、変奏曲。A-B-A'-B-A"-B'-A'"-A""-codaから成る緩徐楽章。
A(第1主題)はヴィオラとチェロで出る穏やかなもの。B(第2主題)は木管、続いて金管で歌われる力強いものである。A'で16分音符に分解された第1主題は、A"では、さらに32分音符に分解され、その流れに乗ってひとつの山場を築いたのち、木管による経過句が添えられる。短縮されたB'を経て、A'"では、変イ短調となって木管に出、続くA""の全奏で第1主題の変奏はクライマックスを迎える。ピウモッソで駆け足になってコーダに入るが、すぐにア・テンポとなり、第1主題の結尾部で敢然と締められる。
変奏の名手であったベートーヴェンは、優しさから力強さまで、主題に隠された要素を巧みに引き出している。同時期に書かれたピアノソナタ第23番「熱情」でも中間緩徐楽章は流麗な変奏曲であり、筆致に共通した点が読み取れる。
なおハ短調の作品の緩徐楽章に変イ長調を選択することはベートーヴェンにはよく見られることであり、ピアノソナタ第8番『悲愴』の第2楽章が非常に有名であるほか、ヴァイオリンソナタ第7番にも見られる。
見方によっては、ソナタ形式の要素も指摘される。上記A-B-A'-Bは提示部とそのリピート、A"-B'が自由な展開部、そして、A'"-A""はBを除した再現部である。
二重変奏曲の形式は、後に交響曲第9番の第3楽章でも利用されている。
第3楽章 Allegro. ataccaa ハ短調、4分の3拍子、複合三部形式であり、スケルツォ - トリオ - スケルツォ - コーダという構成
チェロとコントラバスによる低音での分散和音のあとにホルンによって提示されるスケルツォの主題は、「運命の主題」の冒頭の休符を取り去り、スケルツォの3拍子にうまく当てはめたような形になっている。トリオではハ長調に転じ、チェロとコントラバスがトリオの主題を提示したあと、他の楽器がそれに重なっていく、フガートのスタイルをとっている。トリオのあと再びスケルツォに戻り、不気味なコーダから、アタッカで次の楽章に繋がってゆく。
ベルリオーズはこの楽章のトリオの部分を「象のダンス」と形容した。また演奏会でこの曲を聴いた子ども時代のロベルト・シューマンは、不気味なコーダの部分に差し掛かったときに、同伴していた大人に「とても怖い」と言ったと伝えられている。
なお、主部とトリオに反復指示のある版もあり、指示に従って繰り返して演奏される場合もある。1968年、ピエール・ブーレーズが弟子のカニジウス(Claus Canisius)の助言を受けて第3楽章トリオの後ダ・カーポ(最初から繰り返し)を行う五部形式をとった録音を行い、1977年にはペータース社からダ・カーポを採用したペーター・ギュルケ(ドイツ語版)校訂の新版が刊行された。これは初版パート譜に断片的に残っている音形を元にしたものだが、初版刊行後に作成された筆写資料がダ・カーポ無しになっていることやベートーヴェンがダ・カーポの削除を指示した書簡も残っていることから、1990年代に入って刊行されたブライトコプフ社のクライヴ・ブラウン(Clive Brown)校訂による新原典版では「アド・リブ(任意)」とされ、2013年の新全集版でも括弧付き。ジョナサン・デル・マー(英語版)校訂のベーレンライター版でも正式な採用はされていない。ただしフランツ・リストによるピアノ編曲版を演奏したグレン・グールドをはじめ、ベーラ・ドラホシュ(英語版)、ノリントン、ホグウッド、アーノンクール、デル・マー版使用と銘打ったジンマンなどリピート採用の演奏がCDになっているケースは幾つもある。
第4楽章 Allegro - Presto ハ長調、4分の4拍子、ソナタ形式(提示部反復指定あり)。第3楽章から続けて演奏される。
この楽章では楽器編成にピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンが加わる。そのため色彩的な管楽器が増強され他の楽章に比べて響きが非常に華やかになっている。
第1主題はド・ミ・ソの分散和音をもとに構成されたシンプルなものである。第2主題は運命の動機を用いたもので、続く小結尾主題は力強いものとなっている。展開部は第2主題に始まり、新たな動機も加わり短いが充実した内容となっている。その後第3楽章が回想されるが、再び明るい再現部に入り、型どおりの再現の後、第二の展開部の様相を呈する長大なコーダに入る。コーダでは加速し「暗から明へ」における「明」の絶頂で華やかに曲を閉じる。ベートーヴェンの交響曲は比較的あっけない音で終わることが多いが、この第5では執拗に念を押し、彼の交響曲の中では唯一「ジャーン」とフェルマータの音で終わる。
なお提示部に反復の指示があるが、現在では反復されないことも多く、反復するかどうかは指揮者次第となっている。ただし、オーセンティックな演奏の影響が強まった20世紀終盤からは、反復されるケースが多くなっている。

音楽の森 ベートーベン:交響曲 第5番

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