ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 作品109

ピアノ( ヤマハ ): スヴャトスラフ・リヒテル(76歳) Sviatoslav Richter
live at the Pushkin Museum(モスクワ・プーシキン美術館) as part of the December Nights in 1991.

ピアノソナタ第30番ホ長調作品109は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1820年に作曲したピアノソナタ。

大作「ハンマークラヴィーアソナタ」を完成したベートーヴェンが続く作品109のピアノソナタに着手したのは1820年の初頭で、これは最後の3つのピアノソナタ(第30番、第31番、第32番)を出版したシュレジンガーとの交渉が行われるよりも前のことであった。曲の原型となったのは小品もしくはバガテルであり、フリードリヒ・シュタルケからピアノ作品集『ウィーンのピアノフォルテ楽派』への楽曲提供を依頼され、既に取り掛かっていた『ミサ・ソレムニス』の仕事を後に回す形で作曲が行われた作品であった。同年4月のベートーヴェンの会話帳には「新作の小品」との記載があり、幻想曲調の間奏曲に中断されるバガテルという楽曲の構成からは、これが作品109の第1楽章となったのであろうことが窺われる。ベートーヴェンの秘書を務めていたフランツ・オリファが、この「小品」をシュレジンガーの求めるソナタの開始楽章にしてはどうかと提案したとされる。結局、シュタルケに提供されたのは11のバガテル 作品119の第7曲から第11曲であった。

ジークハルト・ブランデンブルクは、当初構想されていたのが第1楽章を欠いた2楽章から成るソナタであったとする説を提唱している。第1楽章と他の楽章を結びつける動機要素が、明らかに後になってから付け加えられたものだからである。一方、アレグザンダー・ウィーロック・セイヤーはホ短調のソナタの構想は発展することなく終わり、作品109とは全く関係がないとする立場を取っている。

第3楽章のために最初に書かれたスケッチは6つの変奏を伴う変奏曲であったが、その後9つの変奏に改められ、最終的に6つの変奏に落ち着いた。9つの変奏が設けられていた稿での個々の変奏の性格は、出版された最終稿のものに比べると際立っていないが、ケイ・ドレイファスはその時点で既に「主題の探索と再発見の過程」が示されていると指摘している。

このソナタの完成が1820年の秋であったのか、または1821年になってからであったのかははっきりしていない。1820年9月20日にシュレジンガーに宛てて送られた書簡では、最後の3つのソナタのうち最初の作品の「完成」が近いことが語られている。しかし、ここでの「完成」が意味するところが構想の決定であるのか、送付可能な浄書譜の完成であるのかは不明である。初版譜はベルリンのシュレジンガーから出されたが、作曲者が病床にあり適切な校正を行うことが出来なかったため、数多くの誤植が残されたままだった。作品は当時18歳だったマキシミリアーネ・ブレンターノに献呈されている。1821年12月6日にしたためられた献呈の句には、作曲者がブレンターノ家に抱いていた深い愛着の情が綴られている。

第1楽章 Vivace, ma non troppo 2/4拍子 ホ長調
ソナタ形式。第1楽章は速度と拍子の異なる楽想をひとつにまとめあげており、当時のベートーヴェンが関心を持っていた挿入節的な構成概念が反映されている。これは同時期に作曲が進められた『ミサ・ソレムニス』やこの後に続くピアノソナタにも見られる特徴である。無駄のない形式の中に込められた曲の内容は幻想的で、それまでのベートーヴェンのピアノソナタには見られなかった柔軟性が示されている。序奏はなく、第1主題が2/4拍子でヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポで提示される。この第1主題はピアノソナタ第25番の第3楽章の主題との関連を指摘されている。
第2楽章 Prestissimo 6/8拍子 ホ短調
ソナタ形式。第1楽章からは切れ目なく演奏される。楽章中で用いられる素材はフォルテッシモで出される譜例3の第1主題の中に集約されている。
第3楽章 Andante molto cantabile ed espressivo 3/4拍子 ホ長調
変奏曲形式。主題と6つの変奏からなる。全曲の重心のほとんどはこの第3楽章に置かれており、変奏曲がこれほどの比重を占めたのはベートーヴェンのピアノソナタでは初めてのことであった。

ピアノソナタ第30番 (ベートーヴェン)

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