J.S.バッハ :オルガン協奏曲 第5番 BWV 596 から シシリエンヌ Sicilienne

Arranged for Piano by Alexandre Tharaud アレクサンドル・タロー
ピアノ: ポリーナ・オセチンスカヤ Polina Osetinskaya 2019

オルガン協奏曲は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したオルガンのための独奏曲。全6曲が存在する。オルガンとオーケストラのための協奏曲ではなく、本来他者が作曲した協奏曲をバッハがオルガン独奏曲として編曲したものである。

第1番 ト長調 BWV 592
第2番 イ短調 BWV 593
第3番 ハ長調 BWV 594
第4番 ハ長調 BWV 595
第5番 ニ短調 BWV 596
第6番 変ホ長調 BWV 597

1708年にバッハはヴァイマルの宮廷にオルガニストとして就職し、1714年にはその宮廷楽長に迎えられ、この地で長く活動を続けた。バッハは主に教会音楽の作曲や演奏を仕事としていたが、一方では宮廷も他のドイツの宮廷の多くがそうであったように、イタリア音楽を非常に愛好し、深く親しんだ。この頃のバッハは当時広くもてはやされていたイタリア音楽に大きな関心を示して熱心に研究し、その影響を採り入れながら自己の作風をはぐくんでいった。そしてバッハは、イタリアの協奏曲のしなやかで、優美な様式にすっかり魅了され、同時にヴァイオリンをはじめとするその旋律楽器のイディオムが、鍵盤楽器と意外に近親性を有している事実にも着目した。

バッハは、何曲もの器楽協奏曲を独奏オルガンのために編曲するというユニークな創意を抱いたが、6曲のオルガン協奏曲は、その成果として世に送り出された作品である。原曲は、第1番、第4番がザクセン=ヴァイマル公子ヨハン・エルンストの、第2番、第3番、第5番がアントニオ・ヴィヴァルディの協奏曲である。
なお、ヨハン・エルンスト(1696年 - 1715年)という人物は、ザクセン=ヴァイマル公国(en)の君主ヴィルヘルム・エルンスト公(en)の甥にあたり、18歳で死去したが、少年時代から非凡な楽才を発揮し、天才貴公子としてもてはやされた。ゲオルク・フィリップ・テレマンは最初の作品を出版した際に彼に献呈しているほどである。

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