東京修道院「みことばの家」

 JR飯田橋駅の東口から、大久保通りを新宿方面に5、6分行くと、筑土八幡の交差点に出ます。そこから右手前方に「御受難会みことばの家」の入り口が見えます。修道院の右は八幡様、左は朝鮮新報という新聞社で、神社と共産主義に挟まれて、カトリックの修道院が建っています。
 御受難修道会は、約250年前にイタリアで創立されました。創立者は、十字架の聖パウロという人です。パウロが20歳のころ、ある教会で聞いた説教が深く胸に突き刺さり「回心」を体験したと言っています。 それから召命を真剣に考えるようになり、生涯を神に捧げることを決心しますが、具体的な道が分からず、家庭の事情もあって、父の仕事を手伝っていました。毎日ミサに与って熱心に祈っていましたが、ある日、内面的な呼びかけをはっきりと聞きました。その様子を地元の司教様にこう説明しています。「去年の夏のことです。平日のミサで聖体を頂いたあと、非常に深い内面の集中があり、帰り道にもそれが続きました。ある街角を曲がったところで、神様の世界に高められ、ほかのことは何も分からなくなりました。そのとき私は、自分が長い黒い衣に包まれ、胸には白の十字架を着け、その下にイエスの名が白字で書かれているのを見ました。『イエスの名を刻まれる人の心が、どれほど清く、汚れのないものであるかを示すものだ』と言う声を聞きました」

 こうして始まった神の呼びかけは、多くの苦労の後に実を結び、修道会として認められるところまで進みました。
 キリストの十字架の中に神の愛が示され、その力によってのみ悪に打ち勝つことができる、このことを自らも体験し、それを人々に述べ伝えることを目的として、仲間を集めました。「イエスの受難の思い出を心に刻み、これを人々に伝え広める」を目標に、教会や修道院での説教活動に献身しました。
 1778年に81歳で亡くなるまで、イエスの受難に身を合わせ、その愛を説き続けました。彼の弟子になった福者ドミニコ・バルベリ神父はイギリスに宣教に行き、「ひどい英語」だったそうですが、その輝き出る素朴な聖性でニューマン(枢機卿)をカトリックの信仰に導きました。また19世紀の半ばで24歳で亡くなったガブリエルは、6年の修道生活で聖性の階段を駆け上がり、「道を急ぐ若者」と呼ばれました。今でもイタリアでは若者に大変な人気のある聖人です。

 御受難会が日本に来たのはおよそ50年前のことです。東京の「みことばの家」は、神学生が祈りと勉強を中心に、使徒職を学び、叙階に備える場として設立されました。司祭を目指す人は、上智大学の神学部で勉強しています。今年は3人の若者がそこで勉強を続けています。ほかにブラザー志願の人もいて、同じように神学を勉強しますが、そのほかに使徒職と共同生活に役立つ他の部門の勉強もします。祈り、勉強、使徒職、そして共に住む楽しみを分かち合います。
 また交通の便に恵まれているため、聖書研究会や祈りの集いなど、いろいろな集まりがあります。聖堂は日本間の茶室で、床の間に置かれている聖櫃は、16世紀のポルトガルの宣教師が持って来た「聖餅箱」を復元した、螺鈿細工の漆の箱です。ミサも「教会の祈り」もこの畳の部屋で正座して行います。和室に合った、落ち着いた雰囲気が祈りを助けてくれます。近所の方たちとも仲良しで、みことばの証しになっています。

国井 健宏


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