ヴァイオリニスト:佐藤 俊介 Shunske Sato

佐藤 俊介(さとう しゅんすけ、1984年6月10日 - )は日本のヴァイオリン奏者。

略歴

2歳でスズキ・メソード の松戸教室でヴァイオリンを始める。きっかけは「母親が流していたFM放送から流れるクラシック音楽のヴァイオリンによく反応していたことと、母親と散歩中にたまたま才能教育教室から出てきた親子から教室の見学を勧められたこと」。
3歳より松戸の教室で、日本のヴァイオリン界草分けの鷲見四郎の門下生となる。4歳から父親の経済学研究のために、家族で米国ペンシルベニア州フィラデルフィアへ移住。幼稚園から高校までをアメリカの徹底した個人主義の下におくる間、ジュリアード音楽院プレカレッジ部門でドロシー・ディレイ、 川崎雅夫の下で研鑽。
ジュリアード入学以前は、二ノ宮夕美、および韓国系アメリカ人チン・キム(Chin Kim)に師事。1994年、フィラデルフィア管弦楽団の学生コンクール小学生の部門で優勝。オーケストラとのデビューは同楽団とのエドゥアール・ラロのスペイン交響曲。
チン・キムの招待により、2005年に参加した韓国のグレートマウンテン音楽祭で佐藤の演奏を聞いていたのが、Dittoのリーダーである、ヴィオラ奏者のリチャード・オニールだった。これが、「オニールが2010年のDITTO音楽祭に(佐藤を)新メンバーとして抜擢するというきっかけ」になった。
ジュリアード在学中、12歳でヤング・コンサート・アーティスツのディレクター、スーザン・ワーズワースにスカウトされる。この組織を通じてリサイタル、オーケストラの共演の他、室内楽、あるいは地元学校でのマスタークラスでの指導を含むコンサート活動を始める。同時期に、3MのテレビCMのオーディションで主役に選ばれ、Comfort Strips(絆創膏)を指につけてフランツ・ワックスマンによるカルメンファンタジーを弾く。このコマーシャルは1996年から1998年にかけてアメリカ、ブラジルで流れる。
1995年より2002年までコロラド州アスペン音楽祭に参加し、リサイタルの他、ミクロス・ロージャ、ウィリアム・ウォルトンといったヤッシャ・ハイフェッツに縁の深い協奏曲も演奏(アスペン音楽祭演奏録音は、アスペン音楽祭アーカイブおよび、ピットキン区公立図書館に保存)。
2000年10月にはニューヨーク・リサイタルデビューを果たし、10月24日付のニューヨークタイムスで「(佐藤の)リサイタルに仰天。驚くべき冷静さと音楽的レベルを既に持っている。舞台上では完全にリラックスしており、全てのプログラムを譜面なしで演奏。これは音楽が誰かに教え込まれたものではなく自分から湧き出ている。…音楽作りの流暢さに感嘆した。」と絶賛される。
ドロシー・ディレイと川崎雅夫による歴史的考証まで掘り下げたスコア分析、さらに演奏活動の間に何度か共演したクリストファー・ホグウッドのピリオド奏法研究が、佐藤のバロック音楽および古楽器奏法への関心につながる。
また、アスペン音楽祭で聞いた川崎雅夫のヴィオラの演奏や、ウィリアム・ウォルトンのヴィオラ協奏曲に刺激され、14歳よりヴィオラを学びはじめる。のちに、佐藤のヴィオラを聞いた西村朗が触発され、「ヴィオラ無伴奏ソナタ」を作曲し。「西村朗:旋回舞踊超絶技巧ソロ 佐藤俊介プレイズ西村朗?西村朗作品集(12) WHIRL DANCE - SHUNSUKE SATO PLAYS AKIRA NISHIMURA」(全音楽譜出版社)として発表することになった。
ジュリアードプレカレッジ最終学年の2001年の夏に、マヨルカ等のマスタークラスでジェラール・プーレに出会う。2002年3月、長年の恩師ディレイが死去し、プレカレッジ卒業に際した佐藤は、フィラデルフィアのカーティス音楽学校のハイメ・ラレドのクラスに入学。しかし翌2004年、ジェラール・プーレの指導を仰ぐためにパリに渡り、4年間研鑽を積む。
ジェラール・プーレが東京芸術大学教授として日本へ渡りパリを離れたこと、すでに古楽器奏法への傾倒が高まり自分自身で学び始めていたことが重なり、正式にミュンヘン音楽・演劇大学のメアリー・ウティガーの下で研鑽するために2009年にドイツへ移住。

2010年7月、ライプツィヒで行われたヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールで、バロック奏者として初めての国際コンクールに挑戦し、ヴァイオリン部門(バロックとモダン楽器奏者を合わせて審査)で2位と聴衆賞(聴衆各人が投票できるシステムで票を集計して決定する賞)を獲得。
2010年12月21日、文化庁主催第65回芸術祭で2010年10月29日に東京で行われたバロックリサイタルが評価され音楽部門で新人賞を受賞。

2011年10月、リチャード・エガー率いるエンシェント室内管弦楽団と共にニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲2番をガット弦、ピリオド楽器で演奏、ケンブリッジとロンドンでUKデビュー公演を行う。
2011年11月28日発売の古楽器専門誌 アーリー・ミュージック・アメリカ(Early Music America) が IN CONCLUSION: hats Off, Gentle People! Is the Revolution Over? (by Anthony Martin) の見出しで世界初のガット弦による「パガニーニ:24のカプリース」の録音(2009年、ユニバーサルクラシックス)を紹介。
2011年1月、オランダのバッハ協会 De Nederlandse Bachvereniging 所属オーケストラのコンサートマスターに抜擢される。
また2012年に若手バロック奏者をサポートするオランダ、アムステルダム所在のジャンプスタートジュニア財団の選考で選ばれ、2013年1月に財団所有のジョヴァンニ・グラチーノ作の楽器 (ミラノ、1695年頃の製作)を貸与される。
2013年11月、オランダのアムステルダム音楽大学は佐藤が古楽器科に客員教授として加わることを公式発表。
2013年12月、アンドレアス・シュタイアーと大阪のいずみホールと東京のトッパンホールでヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品によるデュオリサイタルを行う。

2015年8月、ケント・ナガノ率いるモントリオール交響楽団と共にヨハン・ゼバスティアン・バッハのヴァイオリン協奏曲1番をピリオド楽器で演奏、モントリオールでカナダデビュー公演を行う。
このライヴコンサートはラジオ・カナダによって収録され、2015年9月にラジオ・カナダ・テレビ、 ICI ARTV, ラジオ・カナダ・ムジーク、2015年10月にMedici.tvで放送された。

2016年11月,ドイツのケンペンで行われたコンチェルトケルンのコンサートライブを収録した アントニオ・ヴィヴァルディの四季のコンパクトディスクおよびLPレコードがベルリン・クラシックスからリリースされた。
2016年9月にオーストラリアン・ブランデンブルグ管弦楽団とシドニー、メルボルンで公演し ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第4番をガッと現使用で演奏。また フェリックス・メンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第3番、 エドヴァルド・グリーグ'の弦楽合奏曲ホルベアの時代からを弾き振りした。メルボルンのライブコンサートがオーストラリアのABC Classic FMによって放送収録され、2017年2月3日にABC Classicsからリリースされた。

2017年5月11日、オランダバッハ協会De Nederlandse Bachvereniging は芸術監督ヨス・ファン・フェルトホーフェンの離任表明に伴い、次期芸術監督として佐藤が2018年6月1日に就任することを発表。
2018年6月1日、オランダバッハ協会De Nederlandse Bachvereniging第6代芸術監督に就任。
2019年4月16日、2018年度第31回ミュージック・ペンクラブ音楽賞クラシック「独奏/独唱」部門受賞。
2019年9月28日から10月6日までオランダバッハ協会芸術監督就任後初の日本ツアーを京都、神奈川、埼玉、広島、東京で行う。

2020年(令和2年)1月1日、毎日新聞主催の第61回2019年度毎日芸術賞を受賞。オランダバッハ協会の日本ツアーでの弾き振りと東京・浜離宮朝日ホールほか京都・横浜・さいたま・広島での演奏会が評価される。

2020年1月、音楽之友社出版の月刊誌レコード芸術1月号で同社が主催する2019年レコード・アカデミー大賞で、J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲のディスクが評価され「大賞銀賞 器楽曲部門」を受賞する。同年3月4日には令和元年度(第70回)芸術選奨 が発表され「文部科学大臣芸術選奨新人賞」を受賞。同年12月11日にオランダ、ユトレヒト市のチヴォリフレーデンバーグ(TivoliVredenburg)で行われたオランダバッハ協会のクリスマスコンサートツァーで指揮者としてもデビュー、AVROテレビのライブ放送で中継される。12月20日にライブノーツよりゲオルク・フィリップ・テレマン:12のファンタジー(無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲)が再版。2012年に限定発売され完売後に要望を受けて復活。

2022年10月、佐藤はオランダバッハ協会との契約を更新せず、2023年夏をもって音楽監督を辞任することが報じられた。理由としてはソリストとして多忙になったこと、バロック音楽に限らず19世紀や20世紀の音楽をもっと演奏したいことが挙げられている。辞任後も別の形で協力関係を築くことが検討されている。

佐藤は演奏家として、モダン奏法と古楽器奏法、現代音楽とバロック音楽、室内楽と協奏曲を手がける一方、自ら協奏曲のカデンツァの作曲、編曲、CDのライナーノーツ執筆および英訳も手がけているほか、ウェブデザインも趣味で手がけている。 2019年8月15日にスーアン・チャイとともにピアノ、弦楽四重奏とコントラバスのために編曲したモーツァルト交響曲第38番「プラハ」をオランダのオーランド音楽祭で演奏、World Concert Hallでライブ放送される。

音楽教育

受賞

Wikipedia

inserted by FC2 system