ピアニスト: 反田 恭平 Kyohei Sorita

反田 恭平(そりた きょうへい、1994年9月1日 - )は、日本のピアニスト、指揮者

ジャパン・ナショナル・オーケストラ代表取締役社長兼CEO。血液型はAB型。妻はピアニストの小林愛実。

人物

生い立ち

東京都出身(北海道札幌市生まれ)。生まれた時は逆子で、心肺停止状態だったという。これについて、本人は「僕は一度死んでいるんですよ」と語っている。父はサラリーマン、母は主婦という家庭に育つ。音楽好きな母が弾いたエレクトーンを聴き、それを瞬時に弾いたほど小さい頃から耳が良かった。小学5年生の時に、サッカーの試合中に手首を骨折し、接骨時のトラウマでサッカー選手の夢を諦めた(尚、現在ではガンバ大阪のサポーターであることを公言している)。

小学6年生の時、漫画『のだめカンタービレ』を愛読していた母から勧められる。また、ドラマ『のだめカンタービレ』も視聴し、作中で取り上げられていた交響曲やピアノ以外の作品を知る切っ掛けになったという。さらに中学生の頃、漫画『ピアノの森』を勧められ、「主人公達が弾く作品を全部調べて、楽譜を買って弾いていた。僕はピアノの森と一緒に育ってきたような感じがあります」と明かしている。また同時期、曽我大介のもとで東京ニューシティ管弦楽団を指揮する機会を、加えて音楽番組『題名のない音楽会』で1分ほど東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を指揮する機会を得る[17]。この時にクラシックが好きだと確信、ピアノを本格的に学ぶ決意をするが、父に「そんなに音楽高校に行きたいのなら、コンクールで1位を取って、その賞状を俺のところに持って来い」と言われコンクールへ出場、1つで最高位を、その他全てで優勝を飾り、桐朋女子高等学校音楽科(共学)へ進学を決めた。

高校入学からポーランド留学時代

高校入学まで、ショパンやリストなどの好きな作曲家の曲しか弾いてこなかったため、入学当初から日本音楽コンクールに優勝させる事を目標としていた川島伸達の指導のもと、試験とコンクールの課題曲以外はバロック音楽とバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンら古典派の練習を徹底した。また同校の恩師である下田幸二は「授業中、全然話を聞いてないようなふりをしてるんです。で、いざ演奏を指名され楽譜を広げて弾き出すと、ものの見事に弾いてみせる」。同大学で長年教授を務める岡本美智子は「オーケストラの指揮に挑戦したり、学園祭でミュージカルの舞台に立ったりと、常ににぎやかで周囲を引っ張るオーラがあった。ピアノというよりは音楽そのものを、全身で楽しんでいた」と語っている。

高校3年生の時、日本音楽コンクールにて18歳で第1位。併せて、聴衆賞を含む4つの特別賞を受賞。高校卒業後の2013年にロシアへと留学、1年の予備科を経てモスクワ音楽院に首席で入学すると、翌2015年にイタリアで開催された第25回チッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクールに参加し第1位に輝いた。同年メジャー・デビューも果たし、タカギクラヴィア社長・高木裕のサポートを受け、ホロヴィッツが愛奏したヴィンテージ・ニューヨーク・スタインウェイを使用していた。2017年、ショパン国際ピアノコンクールへの出場も見据えポーランドへ留学しショパン国立音楽大学に入学。すでにプロとして「最もチケットが取れないピアニスト」という肩書が付く活躍をしており、コンクールの最終エントリー期限近くまで出場を悩んだが、失敗のリスクよりも「自分の力を試してみたい。小さい頃から憧れていたあの舞台のファイナルで協奏曲を弾きたい」という想いが勝り、参加への意思を固めた。

第18回ショパン国際ピアノコンクール

2021年10月、第18回ショパン国際ピアノコンクールで第2位に入賞。2位はアレクサンダー・ガジェヴと同時受賞であり、同コンクールにおける日本人歴代最高位タイで、内田光子以来51年ぶり2人目。「『ショパン国際ピアノコンクールで協奏曲を弾く』。夢が叶う瞬間、待ち望んだその時間というのは一瞬なのか、10秒間なのか、人それぞれに長さがあると思うのですが、僕にとってのその幸せな時間は40分間でした」と明かした。コンクール期間中、同じ練習室に通っていた沢田蒼梧は「本来ライバルである他のコンテスタントの練習に付き合い、自分の持っているものを分け与えてくださる。演奏でも同じピアノを弾いているのに音量が全然違う、それだけでまず衝撃だった」。また、同コンクールの審査員を務めた恩師ピオトル・パレチニは「彼はファイナリストの中で唯一、1次から最後まで発展していったピアニストだったと思います。ツィメルマンやブレハッチ、ブーニン、レヴィットが、彼のポロネーズが良かったとメッセージをくれました」。加えて、モスクワ音楽院教授・ピアノ科長を務める恩師ミハイル・ヴォスクレセンスキーは「世界中の音楽家の中でも傑出しています。このような才能豊かな人が世に出るのは10年に一度のことでしょう」と語っている。

来歴

活動歴

エピソード

2018年、ドイツ・ビーレフェルトでの開催が予定されていたコンサートの前日、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番を演奏予定だったイタリア人ピアニストがアクシデントで骨折。「明日、ドイツで演奏できませんか?」とオファーを受けた反田は、二つ返事で承諾すると即日本を発ち、翌日ドイツでスタンディングオベーションが巻き起こる演奏を披露した。さらにコンサートの主催者であったDMG森精機の森雅彦社長は、反田のオーケストラ設立と音楽院設立への夢にも感銘を受け、後にジャパン・ナショナル・オーケストラ株式会社へと共同出資するきっかけとなった。

初見演奏と暗譜力に傑出しており、反田は「大体2日あれば、ピアノ協奏曲を初見状態から暗譜まで持っていける。2回通したらスムーズに弾けることが大半、10回通せば暗譜できる」と明かしており、岡本誠司は「ここまで暗譜が早い人はピアニストでもあまり見たことがない」と語っている。

体重49kgでモスクワ音楽院に留学し直面した体格に優れたロシア人学生とのピアノの響きの違い、ラフマニノフやチャイコフスキーの協奏曲など金管楽器やティンパニーが鳴り響くパートにピアノの音が消えやすくなる事、音が吸収される海外の椅子やクッションのホールでピアノを響かせる必要性を感じた反田は、体を整えて筋肉の質を高めれば自分の理想の音に近づけると肉体改造を決意。自らの考察のみならず専門家にも話を聞き、ピアノを弾くために必要な筋肉、骨密度に加え、体幹の重要性へと研究は及んだ。その後ジムに通い、2年かけ肉体改造に成功し音量の幅は広がったが「筋肉量が増えると、ちょっとだけ音が硬いというか、『キンキン』という音がする」と、さらに1年かけて脂肪も増やしながら筋肉と脂肪の黄金比を探り、丸みを帯びた理想的な響きを得た。

受賞歴

 Wikipedia

 

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