ソプラノ歌手: イルムガルト・ゼーフリート Irmgard Seefried

イルムガルト・ゼーフリート(Irmgard Seefried、1919年10月9日-1988年11月24日)は、著名なドイツのソプラノ歌手。オペラ、リートを歌った。


マリア・テレジア・イルムガルト・ゼーフリートはドイツ国、バイエルン州のミンデルハイムの南南西およそ3キロに位置するケンゲトリートで、教養のあるオーストリア生まれの両親のもとに生まれた。アウクスブルク大学で学んだ後、アーヘンで、ヴェルディの「アイーダ」の女司祭役でデビューする。1940年のことだった。1942年には主役を演じるようになり、ウェーバーの「魔弾の射手」でアガーテ役を演じる。さらに翌1943年には、カール・ベーム指揮のワーグナー、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」でエファ役(一部)を演じウィーン国立歌劇場でデビューする。この時以来、1976年に引退するまで、ゼーフリートとウィーン国立歌劇場管弦楽団は強い結びつきを保つことになる。

ゼーフリートは、1946年から1964年まで(途中1955年、1961年、1962年を除く)、毎年ザルツブルク音楽祭に出演、オペラ(「フィガロの結婚」でのスザンナ役、「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルディリージ役、「ドン・ジョヴァンニ」のツェルリーナ役、「魔笛」のパミーナ役、「フィデリオ」のマルツェリーネ役、「ナクソス島のアリアドネ」のオペラの作曲家役など)、コンサート、独唱会で歌ってきた。

1947年から1949年にかけては、ロンドン、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスに出演、またミラノのスカラ座やエディンバラ・フェスティバル等にも出演している。ニューヨーク、メトロポリタン・オペラには1953年11月にデビューしている。モーツァルト作の「フィガロの結婚」のスザンナ役だったが、メトロポリタンに出演したのは1953年から1954年にかけてのこの1シーズンだけだった。スザンナ役で5公演に出演している。

第二次世界大戦後、すぐに現われた傑出した歌手の一人だが、ゼーフリートはモーツァルトとリヒャルト・シュトラウスの役でよく知られている。しかし、他の作曲家のオペラでも歌っている。プッチーニの「蝶々夫人」の題名役、アルバン・ベルクの「ヴォツェック」のマリー役、「マイスタージンガー」のエファ役、プーランク作「カルメル派修道女の対話」のブランシュ・ド・ラ・フォルス役、そしてヤナーチェク作「カーチャ・カバノヴァー」の題名役などである。

ゼーフリートはリート歌手としても著名であり、ザルツブルク音楽祭での独唱会の録音が多数残されている。また、バッハ、モーツァルト、ハイドン(少なくとも「天地創造」の大天使ガブリエルの4つの異なる解釈を含む)、ブラームス、フォーレ、ベートーヴェン、ドヴォルザーク、ストラヴィンスキーといった作曲家のオラトリオや宗教曲も多くの録音を残している。

ゼーフリートはハイ・ソプラノではあったが、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」の作曲家や「ばらの騎士」のオクタヴィアンなどといった男役でも録音を残している。こうした役は普通、より重い声の歌手が歌うことが多く、今日では普通はメゾ・ソプラノの歌手が歌っている。

エリーザベト・シュヴァルツコップとはたびだひ共演しており、シュヴァルツコップはインタヴューで、「ゼーフリートは自然に、頑張ることなく、自分も含め他の歌手達がやっていることをなんなくやってのけた」と語っている。

EMIから発売されている、シュヴァルツコップ、ゼーフリート、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの歌唱を収めたDVDで、R・シュトラウスとマーラーの歌唱を見ることができる。

オーストリア人のヴァイオリニスト、ヴォルフガング・シュナイダーハンと1948年に結婚、生涯を共に過ごした。二人の間には三人の娘がおり、その中の一人は女優モナ・ゼーフリート(1957年生まれ)である 。
引退後はウィーン音楽アカデミーとザルツブルク・モーツァルテウム大学で学生達を教えた。1988年69歳でウィーンで亡くなった。

Wikipedia

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