ピアニスト:アンドレ・プレヴィン Andre Previn

アンドレ・プレヴィン(Andre Previn, KBE, 1929年4月6日 - 2019年2月28)は、指揮者、クラシック音楽、映画音楽及びジャズのピアニスト、作曲家である。本名をドイツ名でアンドレアス・ルートヴィヒ・プリヴィン(Andreas Ludwig Priwin)といい、アンドレはフランス風の名乗りである。

ベルリンのユダヤ系ロシア人の音楽家の家庭に生まれ、ナチス政権を逃れて一時期フランスで教育を受けた後、1938年から家族に連れられアメリカへと渡り、1943年に合衆国市民権を獲得した。なおプレヴィン自身は、混迷した時局やアメリカ亡命の渦中で出生証明が失われており、自らの生年について確実ではないとしている。

指揮

ピエール・モントゥーに指揮法を学んだ後、1967年にヒューストン交響楽団の音楽監督を皮切りに、ロンドン交響楽団(1968年 - 1979年音楽監督、1992年 - 桂冠指揮者)、ピッツバーグ交響楽団(1976年 - 1984年)、ロサンジェルス・フィルハーモニック(1985年 - 1989年)、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1985年 - 1987年音楽監督、1987年 - 1992年首席指揮者)、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団(2002年 - 2006年)などで音楽監督、首席指揮者などのポストを歴任した。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との関係も深く、世界で最も著名な指揮者の一人に数えられている。また2009年9月より3年間の予定で、NHK交響楽団の首席客演指揮者に就任した。

ピアニスト

10代の頃からジャズを演奏し、1940年代当時黎明期にあった初期モダンジャズのビバップスタイルに影響を受けたプレイで「天才少年」として注目された。1953年からは、ウェストコースト・ジャズ界の名トランペット奏者ショーティ・ロジャースの楽団に所属した。1960年代までジャズ・ピアニストとして多くのレコードを製作しているが、この分野での代表作としては、トリオ編成のアルバム『キング・サイズ』(King Size, 1958年)、女性歌手ダイナ・ショアと共演した『ダイナ・シングス、プレヴィン・プレイズ』(Dinah Sings Previn Plays, 1960年)、シェリー・マンとの「マイ・フェア・レディ」などが挙げられる。また、80年代後半から90年代初頭にかけて、レイ ブラウンを迎えて、ピアノトリオで録音を残している。
イギリスでは、コメディ番組に「ミスター・アンドルー・プレヴュー」(Mr Andrew Preview)の名で出演し、グリーグのピアノ協奏曲のパロディを指揮して演奏してみせたことで知られている。
クラシックの分野では、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団および同団員と共演した、モーツァルトやブラームスの協奏曲や室内楽曲をはじめ多数の録音がある。また、ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』や『ピアノ協奏曲ヘ調』では、ジャズの素養を生かした弾き振りの録音を残している。日本でもNHK交響楽団とのモーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調を演奏している。

代表的な録音

クラシック音楽の指揮者として、管弦楽曲の演奏・録音が活動の中心であり、とりわけスラヴ系の音楽とイギリス・アメリカ近現代の音楽の録音で評価を得てきた。ロンドン交響楽団、ピッツバーグ交響楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ロサンジェルス・フィルハーモニック在任期間を通じて、こうした非独墺系作曲家の作品に多くの録音を残したため、独墺系のレパートリーに消極的と見られる傾向があったが、これはレコード会社の施策によるところが大きく、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との録音が増加した1990年代以降には、リヒャルト・シュトラウス作品や、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ『こうもり』全曲など、ディスコグラフィの幅を広げている。
ユダヤ系ロシア人としてドイツに生まれ、フランスに学んで英米生活が長いプレヴィンは民族のデパートともいうべき履歴の持ち主であり、事実そのレパートリーは縁の無かったイタリア物を除く広範囲をカバーしている。ただし、オペラへは十分に進出できなかった。

ロンドン交響楽団とのメンデルスゾーン『夏の夜の夢』や、チャイコフスキー『眠りの森の美女』では、通常演奏されることが稀なナンバーを収めた全曲版を用い、いまだに各曲の代表的録音となっている。また、ラフマニノフの交響曲第2番では、1973年の2度目の録音に際して、それまで慣例的に行われていたカットをすべて復元してこの曲の真価を広く伝えることに貢献し、以後ノーカットでの演奏が当然となる先鞭をつけた。
このほか、ドヴォルザークの交響曲第7番及び第8番、チャイコフスキーの交響曲第4番、グリーグのピアノ協奏曲、ラフマニノフの交響的舞曲、ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番と『ロメオとジュリエット』、交響曲第5番、スキタイ組曲、ショスタコーヴィチの交響曲第4番、「ヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集」、ウォルトンの交響曲第1番と2つの戴冠行進曲、『ベルシャザールの饗宴』、オルフの『カルミナ・ブラーナ』などに加え、ピアニストとしては前述のモーツァルト、ブラームスやウラディミール・アシュケナージとの2台ピアノによるラフマニノフのロシア狂詩曲、2台のピアノのための組曲「幻想的絵画」の録音が、知られている。
また、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽作品も得意としており、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と録音した一連のCD(テラーク・レーベルによる『英雄の生涯』や『アルプス交響曲』、『ツァラトゥストラはかく語りき』、そしてドイツ・グラモフォンレーベルによる『家庭交響曲』)などが知られている。

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