ピアニスト: イーヴォ・ポゴレリチ Ivo Pogorelich

イーヴォ・ポゴレリチ(Ivo Pogorelich, 1958年10月20日 - )は、クロアチアのピアニスト。ユーゴスラビアの首都ベオグラード生まれ。1980年、22歳のとき当時43歳の師の女流奏者アリザ・ケゼラーゼと結婚したり、弱音指定の箇所を強打するなど型破りなことでも知られる。


年譜

1958年、10月20日旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都ベオグラードにて、クロアチア人の父イヴァンとセルビア人の母ダリンカの間に生まれ る。父イヴァン・ポゴレリチはコントラバス奏者・指揮者。 1970年、親元を離れ、単身、モスクワ中央音楽学校に留学、寮生活が始まる。

弟ロヴロ・ポゴレリチ生まれる
1978年、イタリア、モンテルニのアレッサンドロ・カサグランデ国際コンクール第一位
1980年、カナダ、モントリオール国際コンクール第一位
1980年、ポーランド、第10回ショパン国際ピアノコンクールの本選落選、審査員特別賞受賞
彼の演奏が奇抜すぎるとする他審査員に対し、審査員の一人マルタ・アルゲリッチが「彼こそ天才よ」といい、その場から立ち去った、抗議・辞任する騒ぎとなった。

1981年、ニューヨーク・カーネギーホール、デビューリサイタル、11月に初来日、25日、東京日比谷公会堂にてデビュー・リサイタル。
1982年、クロアチア、ヤング・ミュージシャンズ・フェローシップを設立
1983年、6月、2度目の来日公演。
1986年、ドイツ・グラモフォンよりレコード・デビュー
1988年、ユネスコ、親善大使に任命、5月に5年ぶりの来日公演。
1988年、ドイツ、バート・ヴェーリスホーフェン、第1回イーヴォ・ポゴレリチ音楽祭を開催
1993年、アメリカ、パサディナにて、イーヴォ・ポゴレリチ国際ソロ・ピアノ・コンクールを創設
1994年、サラエヴォ・チャリティ財団を設立
1995年、8月、ロンドンにて、ムソルグスキー『展覧会の絵』、ラヴェル『高雅で感傷的なワルツ』を録音。
9月、ワトフォードにて、ショパン『4つのスケルツォ』録音、これがケジュラッゼとの最後の仕事になる。

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