ピアニスト:リリー・クラウス Lili Kraus

リリー・クラウス(Lili Kraus, 1903年4月3日 - 1986年11月6日)は、ハンガリー・ブダペスト出身のユダヤ系ピアニスト。

17歳でブダペスト音楽院に進み、アルトゥール・シュナーベルやゾルターン・コダーイ、ベーラ・バルトークらに師事。1930年代、ウィーン音楽院にてアルトゥル・シュナーベルに師事し集中的に古典派音楽にとりくむ傍ら、エドゥアルト・シュトイアーマンの許で研鑚を重ねる。

間もなくモーツァルトやベートーヴェンの専門家として名を揚げるとともに、初期からヴァイオリン奏者のシモン・ゴールドベルクと共演して室内楽の演奏・録音を行い、国際的な称賛を勝ち得る。1930年代に欧州、南アフリカ、豪州、日本に演奏旅行に出る。1942年にアジア遠征に乗り出すが、ジャワ滞在中に家族とともに日本軍によって、第二次世界大戦終結まで軟禁(保護)された。

戦後に解放されると、イギリス国籍を取得して演奏活動を再開。1967年から1983年まで米国で積極的な演奏旅行を行うとともに、日本にもたびたび訪れ、積極的に演奏活動を展開。最終的に米国に定住し、フォートワースのテキサス州キリスト教大学の常任芸術家に選ばれた。ノースカロライナ州アッシュヴィルにて永眠。

評価

スティーヴン・H・ロバーソンは、1989年に「1986年の逝去に至るまで、クラウスは20世紀の最大のピアニストかつ教育者の一人であった。クラウスはハイドンやシューベルト、とりわけモーツァルトの第一人者として知られており、常にモーツァルトの名前と共に語られた」という旨を述べている。

岡本稔は、2013年に「クラウスは、モーツァルトのスペシャリストとして最初に思い浮かぶピアニストである」という旨を述べている。

人物

第二次世界大戦後にたびたび来日したクラウスとじかに接した吉田秀和は「クラウスは、身にまとう雰囲気・話し方・身のこなしなど、欧州の貴族とはこんな人かと思わせる気品を備えた淑女であった。頭が非常によく、話題が豊富で社交性が高く、立派な人柄であった」という旨を述べている。

出自

2006年現在、クラウスの唯一の伝記と言えるのが、Steven H. Roberson, Ph.D., Lili Kraus: Hungarian pianist, Texas teacher, and personality extraordinaire, Fort Worth: TCU Press, 2000である。同書には「クラウスの両親はいずれもユダヤ人であった」と記されているが、その根拠が示されていない。

多胡吉郎(2006年に日本で『リリー、モーツァルトを弾いて下さい』を上梓した)は、上記の記述の根拠を著者のロバーソンに直接問い合わせた。するとロバーソンは多胡に「晩年のクラウスが、自分の娘に、『誰にも言ったことがないが、自分の両親はいずれもユダヤ人であった』と告白した」ことを根拠にした、と返答した。多胡は、次いでアメリカ・ノースカロライナ州に健在であったクラウスの娘に事実関係を直接問い合わせた。クラウスの娘は、ロバーソンの返答・ロバーソンの著書の記述と整合する回答をした。

多胡は、クラウスが第二次世界大戦後の1948年に故郷のブダペストを訪問し、母・異母姉(クラウスの父は前妻との間に娘を儲けた後に、クラウスの生母と再婚し、ホロコーストが始まるより前の1930年代半ばに死去した)の2人と再会した事実を示し、クラウスの娘の証言を根拠とする「クラウスの両親はいずれもユダヤ人であった」説に疑問を呈している。第二次世界大戦中にナチス・ドイツの強い影響下にあったハンガリーでは、他国でのそれを上回る苛烈なユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)が実行され、ナチス・ドイツの当局者すら驚くほど徹底したものであった。多胡は、仮にクラウスの両親がいずれもユダヤ人であったならば、クラウスの母(ユダヤ人)・異母姉(少なくとも父はユダヤ人)が揃ってホロコーストから生き延びるのは不可能だったのではないか、と指摘している。

クラウス自身は生前のインタビューで「自分はカトリックの家庭に育った。しかし、ユダヤ人であるオットー・マンデルと結婚することに何ら抵抗を感じなかった」旨を述べていた。

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