ピアニスト:スタニスラフ・ブーニン Stanislav Bunin

スタニスラフ・スタニスラヴォヴィチ・ブーニン (Stanislav Stanislavovich Bunin:1966年9月25日-)はロシアのピアニスト。祖父はゲンリフ・ネイガウス、父はスタニスラフ・ネイガウス。


経歴

1966年、ソ連時代のモスクワ生まれ。父は当時の名ピアニストスタニスラフ・ネイガウス、祖父はモスクワ音楽院の名教授でギレリス、リヒテルの師でもあるゲンリフ・ネイガウスである。母もまたピアニストでモスクワ音楽院出身で同教師でもある。

4歳から母にピアノの手ほどきを受け、その後も英才教育を受ける。そして、17歳でロン=ティボー国際コンクール(開催地:パリ)で最年少優勝を果たす。翌1984年よりショパン研究家のセルゲイ・ドレンスキーに師事した。19歳でショパン国際ピアノコンクールで優勝したときには、「協奏曲賞」及び「ポロネーズ賞」までも同時に受賞した。この時における、フレデリック・ショパン作曲・『華麗なる円舞曲』(ショパン作品番号第34)の第3曲・「猫のワルツ」の高速演奏は取り分け有名で、普通は曲目の間では拍手はしないコンクールであるにもかかわらず、演奏が終わるや感激のあまり聴衆が拍手をはじめてしまうほどであった。

1988年6月に西ドイツ(当時)に亡命した。ヨーロッパ各地での活動に駆け回る。89年に東芝EMIと契約し、その最初のリリースCD「バッハリサイタル」が90年の日本ゴールドディスク大賞を受賞した。最も得意分野のショパンのほか、ベートーヴェンのピアノソナタ、シューマン、J. S. バッハ、モーツァルトとレパートリーを広げていた。

1990年代以降はメジャーレーベルから離れてしまい、ヨーロッパからの新録音の話はほとんどないが、来日時からの人気に助けられて日本でCDリリースを行い、演奏活動を続けている[4]録音にはブリュトナーを使ったようだが、2017年現在の彼は自宅にファツィオリを持ち込んで練習している。

日本とのかかわり

日本では最も有名な外国人ピアニストの一人である。ピアノコンクールとして非常に高い権威を誇るショパン国際ピアノコンクール(開催地:ワルシャワ)の第11回大会(1985年10月1日~21日)にてわずか19歳の若さで圧倒的な優勝を勝ち取った。この様子をNHK(日本放送協会)が特集番組にて放送したことが発端となり、日本においても「ブーニン・フィーバー」などと呼ばれる現象が巻き起こり、クラシック音楽ファンの裾野を広げるきっかけとなった。
ブーニンの演奏解釈は、専門家の間においてはどちらかというと異端的と評され、ピアノ界においては主流のものとはみなされなかったが、非常にメリハリの利いたキレの有る彼の演奏は、これまでクラシック音楽に疎遠であった人々の間においても大いに歓迎された。「ブーニン・フィーバー」を期にブーニン自身は日本を非常に好意的に思うようになり、頻繁に来日演奏会を催している。妻は日本人であり、家も日本にある。

その他多くのボランティア・チャリティーコンサートも日本で行ってきており、1993年7月12日の北海道南西沖地震の際には、ピアノを抱え奥尻島を訪問し、演奏会を行った。その時のピアノは奥尻町立宮津小学校に寄贈され、同島では丁重に保管されている。
また、1995年3月21日には、阪神淡路大震災で被災した子供達のためのイベント「おーいあつまれこうべっ子フェスタ」(神戸市)で演奏を行った。
さらに、2011年7月26日には、東日本大震災で被災した子供達を支援するガラ・コンサート(東京都)を開催し、2012年3月21日には仙台市太白区の仙台三桜高校で開かれた東日本大震災1周年追悼コンサートに出演した。また、2012年7月1日には北朝鮮による拉致被害者家族会を支援するチャリティー公演(横浜市)も開催した。

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