日本の歌手・女優: 吉永 小百合(よしなが さゆり)

吉永 小百合(1945年3月13日 - )は、日本の女優、歌手である。本名、岡田 小百合(おかだ さゆり)。東京都渋谷区代々木西原町(当時)出身。そのファンは、「サユリスト」と呼称される。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業、学位は文学士(早稲田大学)。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。


人物

父の吉永芳之(鹿児島県出身)は、九州耐火煉瓦、外務省嘱託を経て、出版社「シネ・ロマンス社」を経営。飯島正、双葉十三郎らと映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行するも、事業に失敗している。母の和枝は山の手の上流家庭に生まれ、「潮音」に所属する歌人であった。 母方の祖父に、英文出版社の大観社社長の川田友之。叔母に『婦人画報』編集長、「アムネスティ・インターナショナル日本支部」の創設メンバーの川田泰代が名前を連ねるなど、執筆の世界とも所縁が深い。

遠縁に歌手の佐良直美がいる(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)。また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に、『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。ブロマイドがあまりの売れ行きに店頭から姿を消すなど、爆発的に売り上げを伸ばした。1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と、年間売上実績で女性部門1位に光輝いた。28歳の時に15歳上のテレビプロデューサー・岡田太郎と電撃結婚した。
吉永主演映画の原作者でもある川端康成・石坂洋次郎といった作家にも寵愛され、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を綴り上げた。
日本映画の衰退期と重なったこともあるが、岡田との結婚により役柄のイメージに合わず、結婚に反対する両親との仲違いも報道されたりもした。1973年当時の邦画界には、ヌードも辞さず大胆に現代女性を演じる若手女優が多数登場しており、吉永が1960年代に演じ続けた「清純なお嬢さん」像は類型的で過去の遺物のような印象になってしまっていた。子役出身の俳優にしばしば見られるように、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズに行かなかったともいえる。1975年(昭和50年)の『青春の門』を皮切りに「清純なお嬢さん」を脱する演技を披露した。映画『天国の駅 HEAVEN STATION』(1984年、東映)では、三浦友和に押し倒され着物の胸に手を差し入れられるシーンで三浦が「小百合さんは物凄い積極的で、『もっと大胆にやってよ』と何度もダメ出しをしたんです。僕はもうタジタジになって、20回以上NGが出ました」と語る程、濡れ場でも積極性を見せていたが、ヌードになることには抵抗があったようで「胸が小さいから、出してもしょうがない」と斎藤光正に言っていた。 デビュー時代以外はテレビドラマには縁の無い印象であるが、映画出演の減り始めた時期に、「東芝日曜劇場」やNHK大河ドラマにも出演している。1981年(昭和56年)の『夢千代日記』(NHK)では、大人の女性としての内的情感を豊かに表現し、この時期から、評論家に演技力に難をつけられながらも、大女優の風格をもつ女優という好意的な評価を受け始めた。「サユリスト」復権も同時期であり、邦画冬の時代にも定期的に出演作が製作されている。
沖縄戦を扱った映画『あゝひめゆりの塔』の共演者らと共にもんぺ姿で靖国神社に参拝している。
広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』(NHK)で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。以後女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとして力点を置いている。
以前から脱原発を求めていたが、福島第一原子力発電所事故後はその姿勢を一層強めている。2011年7月31日に広島市内で行われた日本母親大会では、自身による原爆詩の朗読に先立ち、「日本のような地震の多い国で原子力発電所がなくなってほしい」と述べ、「脱原発」社会の実現を願う考えを示した。
現在のテレビ出演はほぼCMのみであり、映画を中心に活動している。
確定申告手続で各社の取材を受けた際、同席していた当時の大蔵大臣に「この税金は戦闘機を買う費用に使ったりせず、もっと国民のためになることに使って欲しい」と釘を刺した。 西武ライオンズと早稲田大学ラグビー部のファンとして有名である。前者については、元々読売ジャイアンツ(特に長嶋茂雄)のファンだったのが、江川事件をきっかけに転向したものだった。また、1996年オフの清原和博の読売ジャイアンツへの移籍について、「あの時(1987年の対ジャイアンツ戦で日本一を決めた、日本シリーズ第6戦のこと)の涙は何だったの」とコメントしていた。この結果、清原ファンをやめている(西武ファンは継続)。また、清原も吉永のファンである。なお、父・英之は前身球団である西鉄ライオンズのファンだった、 夫から教わった将棋も趣味の一つとしており、将棋棋士の大内延介と交遊があった。また、1976年の「将棋会館」建設にあたって多額の寄付をしている。
『吉永小百合 街ものがたり』(TBSラジオ)の中で、鉄道ファンであることも告白しており、JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスター・CMのイメージキャラクターも務めている。
2005年、西武鉄道グループ(西武ライオンズを含む)の当時のオーナーであり、吉永のファンでもあった堤義明から軽井沢の別荘を格安で買ったと報じられた(週刊文春2005年3月10日号)。吉永は「通常の売買契約に基づき行っております」と弁明している。
健康維持のために水泳を長年に渡り、継続している。また、常に水着を持ち歩き、プールがあればどこでも泳いでいる。
父の吉永芳之(鹿児島県出身)は、九州耐火煉瓦、外務省嘱託を経て、出版社「シネ・ロマンス社」を経営。飯島正、双葉十三郎らと映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行するも、事業に失敗している。母の和枝は山の手の上流家庭に生まれ、「潮音」に所属する歌人であった。 母方の祖父に、英文出版社の大観社社長の川田友之。叔母に『婦人画報』編集長、「アムネスティ・インターナショナル日本支部」の創設メンバーの川田泰代が名前を連ねるなど、執筆の世界とも所縁が深い。
遠縁に歌手の佐良直美がいる(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)。また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)。
「日活の看板女優」として、浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に、『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。ブロマイドがあまりの売れ行きに店頭から姿を消すなど、爆発的に売り上げを伸ばした。1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と、年間売上実績で女性部門1位に光輝いた。28歳の時に15歳上のテレビプロデューサー・岡田太郎と電撃結婚した。
吉永主演映画の原作者でもある川端康成・石坂洋次郎といった作家にも寵愛され、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を綴り上げた。
日本映画の衰退期と重なったこともあるが、岡田との結婚により役柄のイメージに合わず、結婚に反対する両親との仲違いも報道されたりもした。1973年当時の邦画界には、ヌードも辞さず大胆に現代女性を演じる若手女優が多数登場しており、吉永が1960年代に演じ続けた「清純なお嬢さん」像は類型的で過去の遺物のような印象になってしまっていた。子役出身の俳優にしばしば見られるように、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズに行かなかったともいえる。1975年(昭和50年)の『青春の門』を皮切りに「清純なお嬢さん」を脱する演技を披露した。映画『天国の駅 HEAVEN STATION』(1984年、東映)では、三浦友和に押し倒され着物の胸に手を差し入れられるシーンで三浦が「小百合さんは物凄い積極的で、『もっと大胆にやってよ』と何度もダメ出しをしたんです。僕はもうタジタジになって、20回以上NGが出ました」と語る程、濡れ場でも積極性を見せていたが、ヌードになることには抵抗があったようで「胸が小さいから、出してもしょうがない」と斎藤光正に言っていた。
デビュー時代以外はテレビドラマには縁の無い印象であるが、映画出演の減り始めた時期に、「東芝日曜劇場」やNHK大河ドラマにも出演している。1981年(昭和56年)の『夢千代日記』(NHK)では、大人の女性としての内的情感を豊かに表現し、この時期から、評論家に演技力に難をつけられながらも、大女優の風格をもつ女優という好意的な評価を受け始めた。「サユリスト」復権も同時期であり、邦画冬の時代にも定期的に出演作が製作されている。
沖縄戦を扱った映画『あゝひめゆりの塔』の共演者らと共にもんぺ姿で靖国神社に参拝している。
広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』(NHK)で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。以後女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとして力点を置いている。
以前から脱原発を求めていたが[6]、福島第一原子力発電所事故後はその姿勢を一層強めている。2011年7月31日に広島市内で行われた日本母親大会では、自身による原爆詩の朗読に先立ち、「日本のような地震の多い国で原子力発電所がなくなってほしい」と述べ、「脱原発」社会の実現を願う考えを示した。
現在のテレビ出演はほぼCMのみであり、映画を中心に活動している。
確定申告手続で各社の取材を受けた際、同席していた当時の大蔵大臣に「この税金は戦闘機を買う費用に使ったりせず、もっと国民のためになることに使って欲しい」と釘を刺した。
西武ライオンズと早稲田大学ラグビー部のファンとして有名である。前者については、元々読売ジャイアンツ(特に長嶋茂雄)のファンだったのが、江川事件をきっかけに転向したものだった。また、1996年オフの清原和博の読売ジャイアンツへの移籍について、「あの時(1987年の対ジャイアンツ戦で日本一を決めた、日本シリーズ第6戦のこと)の涙は何だったの」とコメントしていた。この結果、清原ファンをやめている(西武ファンは継続)。また、清原も吉永のファンである。なお、父・英之は前身球団である西鉄ライオンズのファンだった、 夫から教わった将棋も趣味の一つとしており、将棋棋士の大内延介と交遊があった。また、1976年の「将棋会館」建設にあたって多額の寄付をしている。
『吉永小百合 街ものがたり』(TBSラジオ)の中で、鉄道ファンであることも告白しており、JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスター・CMのイメージキャラクターも務めている。
2005年、西武鉄道グループ(西武ライオンズを含む)の当時のオーナーであり、吉永のファンでもあった堤義明から軽井沢の別荘を格安で買ったと報じられた(週刊文春2005年3月10日号)。吉永は「通常の売買契約に基づき行っております」と弁明している。
健康維持のために水泳を長年に渡り、継続している。また、常に水着を持ち歩き、プールがあればどこでも泳いでいる。

経歴

1957年(昭和32年) - 渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
1959年(昭和34年) - 松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
1960年(昭和35年) - 渋谷区立代々木中学校卒業、都立の名門校東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。同時に日活撮影所に入社。
1961年(昭和36年) - 私立精華学園女子高等学校(現在の 東海大学付属望洋高等学校)転入学。
1962年(昭和37年) - 高校在学中、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞(17歳での受賞は2012年時点で史上最年少記録)。ビクターから『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とのデュエットで30万枚の大ヒットとなった『いつでも夢を』で「第4回日本レコード大賞」受賞。この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組む。同年3月31日からイタリアのミラノで開かれた「ミラノ国際見本市」の中で、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、清水雅(東宝社長)を団長として、川喜多長政、奥山融、そして、他の映画会社各社代表女優の佐久間良子(東映)、星由里子(東宝)らと共に日活代表女優としてイタリアへ出発。岸惠子が日本からではなく現地参加でミラノで合流している。吉永は星と共に同国のヴェネツィアも訪れている。4月25日、帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。
1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったが早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学(俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退していた)。
1969年(昭和44年) - 多忙な中、早稲田大学第二文学部西洋史学専修を正規の4年間、しかも次席で卒業。日活と契約更新。
1973年(昭和48年) - フジテレビディレクター岡田太郎(後の共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任)と結婚。15歳差だった。
1982年(昭和57年) - ドラマ『続 夢千代日記』に対して、第19回ギャラクシー賞・選奨を受賞。
1985年(昭和60年) - 『おはん』、『天国の駅』の演技で、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」初受賞。以降、1989年(平成元年)、2001年(平成13年)、2006年(平成18年)と、最優秀主演女優賞を計4度受賞(歴代1位)している。
1988年(昭和63年) - 『つる』(市川崑監督)に主演し、映画出演は通算100作品となる。
1997年(平成9年) - 朗読CD『第二楽章』で「第39回日本レコード大賞企画賞」受賞。
2002年(平成14年) - 平和記念資料館(広島市)に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当。
2003年(平成15年) - 上記ナレーションや、同じくボランティアである原爆詩の朗読などの平和活動が評価され、「第15回谷本清平和賞」受賞。
2005年(平成17年) - 第56回NHK紅白歌合戦では、山梨県からの中継で原爆詩を朗読した。
2006年(平成18年) - 紫綬褒章、受章
2008年(平成20年) - 2月に主演映画『母べえ』がベルリン国際映画祭出品のためベルリンへ往く。
2010年(平成22年) - 文化功労者。
2011年(平成23年) - 7月31日に広島国際会議場の原爆詩朗読会で「世の中から核兵器、原子力発電所がなくなってほしい」と訴えた。朗読会は日本母親大会の特別企画。
2014年(平成26年) - 自身初のプロデュース作品『ふしぎな岬の物語』がモントリオール世界映画祭で審査員特別大賞を受賞。同作で第38回日本アカデミー賞優秀主演女優賞受賞

映画 出演作品

朝を呼ぶ口笛(1959年、松竹大船) - 刈谷美和子 役 ※デビュー作
まぼろし探偵 地底人襲来(1960年、新東宝) - 吉野さくら 役
拳銃無頼帖 電光石火の男(1960年、日活) - 節子役
霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活) - 浜崎ゆき子 役
拳銃無頼帖 不敵に笑う男(1960年、日活) - 壇則子 役
疾風小僧(1960年、日活) - 秀子役
すべてが狂ってる(1960年、日活) - 久保典子 役
ガラスの中の少女(1960年) - 主演・靖代 役
1988年、後藤久美子と吉田栄作でリメイクされる
美しき抵抗(1960年、日活) - 松波久美子 役
大出世物語(1961年、日活) - 高子 役
天使が俺を追い駈ける(1961年、日活) - 久美 役
花と娘と白い道(1961年、日活) - 主演・みや子 役
ろくでなし稼業(1961年、日活) - 浜田澄子 役
警察日記 ブタ箱は満員(1961年、日活) - 長女ヨシエ 役
早射ち野郎(1961年、日活) - 真山美佐 役
有難や節 あゝ有難や有難や(1961年、日活) - 守田洋子 役
青い芽の素顔(1961年、日活) - 主演・山中みどり 役
闇に流れる口笛(1961年、日活) - 柿崎咲子 役
この若さある限り(1961年、日活) - 河並亮子 役
俺は死なないぜ(1961年、日活) - 義妹弓子 役
闘いつづける男(1961年、日活) - 鞍馬涼子 役
太陽は狂ってる(1961年、日活) - 北条知里 役
あいつと私(1961年、日活) - 浅田ゆみ子 役
草を刈る娘(1961年、日活) - 主演・モヨ子 役
黒い傷あとのブルース(1961年、日活) - 小牧洋子 役
さようならの季節(1962年、日活) - 殿村幸子 役
上を向いて歩こう(1962年、日活) - 永井紀子 役
キューポラのある街(1962年、日活) - 石黒ジュン 役
激流に生きる男(1962年、日活) - さかえ 役
赤い蕾と白い花(1962年、日活) - 主演・岩淵とみ子 役
霧の夜の男(1962年、日活) - 深沢みき 役 星の瞳をもつ男(1962年、日活) - 品田冴子 役
あすの花嫁(1962年、日活) - 主演・汐崎百合子 役
若い人(1962年、日活) - 江波恵子 役
1977年、桜田淳子と小野寺昭でリメイクされる。
ひとりぼっちの二人だが(1962年、日活) - 田島ユキ 役
青い山脈(1963年、日活) - 主演・寺沢新子 役
いつでも夢を(1963年、日活) - 三原ひかる 役
泥だらけの純情(1963年、日活) - 横山真美 役
1977年、山口百恵と三浦友和でリメイクされる。
雨の中に消えて(1963年、日活) - 主演・川路あや子 役
俺の背中に陽が当る(1963年、日活) - 朝子 役
伊豆の踊子(1963年、日活) - 主演・薫、少女 役(二役)
1974年、山口百恵と三浦友和でリメイクされる。
若い東京の屋根の下(1963年、日活) - 主演・桑野蕗子 役
美しい暦(1963年、日活) - 主演・矢島貞子 役 波浮の港(1963年、日活) - 主演・明代 役 真白き富士の嶺(1963年、日活) - 磯村梓 役 光る海(1963年、日活) - 主演・石田美枝子 役 こんにちわ20才(1964年、日活) - 主演・石沢カナ子 役 こんにちは赤ちゃん(1964年、日活) - 主演・宇田川圭子 役 浅草の灯 踊子物語(1964年、日活) - 小杉麗子 役 潮騒(1964年、日活) - 主演・宮田初江 役 風と樹と空と(1964年、日活) - 主演・沢田多喜子 役 帰郷(1964年、日活) - 守屋伴子 役 愛と死をみつめて(1964年、日活) - 小島道子 役 うず潮(1964年、日活) - 主演・林フミ子 役 若草物語(1964年、日活) - 高村しずか 役 悲しき別れの歌(1965年、日活) - 主演・野村ゆり子 役 未成年 続・キューポラのある街(1965年、日活) - 主演・石黒ジュン 役 青春のお通り(1965年、日活) - 主演・南原桜子 役 明日は咲こう花咲こう(1965年、日活) - 主演・小日山ひろ子 役 父と娘の歌(1965年、日活) - 主演・卓紘子 役 四つの恋の物語(1965年、日活) - 三沢三也子 役 大空に乾杯(1966年、日活) - 主演・滝村ゆり子 役 青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ(1966年、日活) - 主演・南原桜子 役 風車のある街(1966年、日活) - 主演・三浦まり子 役 私、違っているかしら(1966年、日活) - 主演・白石桂 役 愛と死の記録(1966年、日活) - 松井和江 役 白鳥(1966年、日活) - 小林麗子 役 青春の海(1967年、日活) - 主演・三宅杏子 役 恋のハイウェイ(1967年、日活) - 主演・梶若葉 役 君が青春のとき(1967年、日活) - 主演・木所香 役 斜陽のおもかげ(1967年、日活) - 主演・木田町子 役 君は恋人(1967年、日活) - 吉永百合 役 花の恋人たち(1968年、日活) - 主演・鑞山操 役 青春の風(1968年、日活) - 主演・楠本光子 役 だれの椅子?(1968年、日活) - 主演・沢村恵子 役
あゝひめゆりの塔(1968年、日活) - 主演・与那嶺和子 役 花ひらく娘たち(1969年、日活) - 主演・柿崎民子 役 嵐の勇者たち(1969年、日活) - 冬子 役 幕末(1970年、中村プロ) - お良役 風の慕情(1970年、松竹大船) - 主演・長谷由布子 役
青春大全集(1970年、松竹大船) - 主演・根本律子 役
戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河(1971年、日活) - 伍代順子 役
男はつらいよ 柴又慕情(1972年、松竹大船) - 歌子 役
戦争と人間 完結篇(1973年、日活) - 伍代順子 役
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(1974年、松竹大船) - 歌子 役
青春の門(1975年、東宝) - 伊吹タエ 役
新どぶ川学級(1976年、日活) - 須藤節子 役
若い人(1977年、東宝) - 鮎沢由紀 役
皇帝のいない八月(1978年、松竹) - 藤崎杏子 役
龍の子太郎(1979年、東映動画) - 太郎の母 役(声の出演)
衝動殺人 息子よ(1979年、松竹) - 柴田保子 役
動乱(1980年、東映) - 溝口薫 役
海峡(1982年、東宝) - 牧村多恵 役
細雪(1983年、東宝) - 蒔岡雪子 役
天国の駅 HEAVEN STATION(1984年、東映) - 主演・林葉かよ 役
おはん(1984年、東宝) - 主演・おはん 役
夢千代日記(1985年、東映) - 主演・夢千代(永井左千子) 役
玄海つれづれ節(1986年、東映) - 主演・山岡ゆき 役
映画女優(1987年、東宝) - 主演・田中絹代 役
つる -鶴-(1988年、東宝) - 主演・つる 役(通算100作目記念映画)
華の乱(1988年、東映) - 主演・与謝野晶子 役
外科室(1992年、松竹) - 主演・貴船伯爵夫人 役
天国の大罪(1992年、東映) - 主演・衣畑遼子 役
夢の女(1993年、松竹) - 主演・お浪(花魁楓) 役
女ざかり(1994年、松竹) - 主演・南弓子 役
霧の子午線(1996年、東映) - 主演・ 沢田八重 役
蓮如物語(1998年、東映アニメーション) - ナレーション
時雨の記(1998年、東映) - 主演・ 堀川多江 役
長崎ぶらぶら節(2000年、東映) - 主演・愛八(松尾サダ) 役
千年の恋 ひかる源氏物語(2001年、東映) - 主演・紫式部 役
風の舞 闇を拓く光の詩(2003年、映画「風の舞」全国上映実行委員会) - 詩の朗読
北の零年(2005年、東映) - 主演・小松原志乃 役
あした元気になーれ! 半分のさつまいも(2005年、「あした元気にな?れ!」全国配給委員会) - 語り
母べえ(2008年、松竹) - 主演・野上佳代 役
まぼろしの邪馬台国(2008年、東映) - 主演・宮崎和子・卑弥呼 役(二役)
おとうと(2010年、松竹) - 主演・高野吟子 役
手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-(2011年、東映・ワーナー・ブラザーズ) - ナレーション・チャプラの母 役(二役/声の出演)
北のカナリアたち(2012年、東映) - 主演・川島はる 役
BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅-(2014年、東映) - マーヤー天 役(声の出演)
ふしぎな岬の物語(2014年、東映) - 主演・柏木悦子 役(企画も兼任)
母と暮せば(2015年、松竹) - 主演・福原伸子 役

Wikipedia

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