ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団 Tonkünstler Orchester

トーンキュンストラー管弦楽団(Tonkünstler Orchester)は、ニーダーエースターライヒ州の州都ザンクト・ペルテン及びウィーンを活動拠点とするオーケストラである。2015年以来、佐渡裕が首席指揮者を務めている。


正式名称はTonkunstler-Orchester Niederosterreichでニーダーエースターライヒのオケであると明確に名前に刻まれる。ウィーンという呼称をつけて呼ぶのは日本のみである。

活動拠点

ウィーン州とニーダーエースターライヒ州を活動拠点としている。ウィーンでは、ウィーン楽友協会の大ホール(黄金のホール)でコンサートを行っている。また、楽友協会は、グラス・ホールをリハーサル室に提供している。そして、ニーダーエースターライヒ州のオーケストラとして、州都ザンクト・ペルテンの「フェストシュピールハウス」を第2の活動拠点としている。2007年夏から「グラフェネッグ国際音楽祭」の音楽祭管弦楽団(レジデント・オーケストラ)として活動している。

歴史

オーケストラの名称の起源は、ハイドンやモーツァルトの時代にコンサートを企画していたウィーンの音楽家協会(Tonkunstler-Sozietat)である。この名称は、20世紀初頭に設立されたウィーンの音楽家管弦楽団協会(Verein des Tonkunstler-Orchesters)に引き継がれた。第1回目の演奏会は、1907年にウィーン楽友協会で行われ、ゴルトマルク、グリーグ、リスト、ベートーヴェンの作品が演奏された。1913年にはシェーンベルクの「グレの歌」の初演を行った。日曜日の午後に行われる演奏会は、ウィーンの人々には特に親しまれた。第1次世界大戦中、オーケストラは財政難のため、「ウィーン演奏協会(Wiener Konzertverein)」に合併された。1933年まで、協会はウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団として演奏会を行っていたが、のちに第2次世界大戦の終了まで「Wiener NS. Tonkunstler-Orchester」「Gau-Sinfonieorchester Niederdonau」と名称を変更し活動を続けることになる。

1946年、ニーダーエースターライヒ州は、州のオーケストラを設立したが、それまでの経緯から「Landessymphonieorchester Niederosterreich」と名付けた。また、日曜日の午後の演奏会も復活させた。2002年、組織改革が行われ、現在は「Tonkunstler-Orchester Niederosterreich」と呼ばれている。

2013年11月6日(現地時間)、当オーケストラの新音楽監督として佐渡裕が就任することが発表された(契約期間は3年間)。2015年9月(2015-16シーズン)より活動開始。

首席指揮者

クルト・ヴェス(1946年 - 1951年)
グスタフ・コスリク (1951年 - 1964年)
ハインツ・ヴァルベルク(1964年 - 1975年)
ワルター・ウェラー(1975年 - 1978年)
ミルティアデス・カリディス(1978年 - 1988年)
イサーク・カラブチェフスキー(1988年 - 1994年)
ファビオ・ルイージ(1994年 - 2000年)
カルロス・カルマー(2000年 - 2003年)
クリスチャン・ヤルヴィ(2003年 - 2009年)
アンドレス・オロスコ=エストラーダ(2009年 - 2015年)
佐渡裕(2015年 - )

客演指揮者には、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、クレメンス・クラウス、パウル・ヒンデミット、ヤンソンス父子、ズービン・メータ、クリストフ・フォン・ドホナーニ、ハインツ・カール・グルーバー、ジェフリー・テイトらがいる。また、共演したソリストには、ファジル・サイ、アルテュール・グリュミオー、レオニード・コーガン、ヴォルフガング・シュナイダーハン、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、イザベル・ファン・クーレン、ハインリヒ・シフ、アルフレート・ブレンデル、ルドルフ・ブッフビンダー、グリゴリー・ソコロフ、エディタ・グルベローヴァ、アグネス・バルツァ、クリスタ・ルートヴィヒらがいる。

レパートリーなど

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンらの古典派、シューベルト、ブラームス、ブルックナー、マーラーなどのロマン派の音楽は、重要なレパートリーである。また今日では、20世紀の音楽、現代音楽の演奏もよく知られている。

オーストリアのオーケストラの中では、音楽教育のプログラムを一番早く取り入れた。

演奏旅行

21世紀初頭に、イギリスとバルト三国への演奏旅行を行った。そして2007年度と2008年度には、ドイツ、スロベニア、チェコ、ハンガリー、およびアジア諸国への演奏旅行も行った。

Wikipedia

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