ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 Munchner Philharmoniker


歴史

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ語: Munchner Philharmoniker)は、ドイツ・ミュンヘンに本拠を置くオーケストラ。略称はMPhil。本拠地は、ミュンヘン市内の複合文化施設ガスタイク内にあるフィルハーモニー・ガスタイク。

概要

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団は、1893年に創立されたカイム管弦楽団がその前身であり、1928年にミュンヘン市のオーケストラとなったことに伴い現在の名称に変更された。

戦前は、ブルックナーの弟子で、その交響曲の「改訂版」に名を残すフェルディナント・レーヴェや、その交響曲の「原典版」の演奏の普及に努めたジークムント・フォン・ハウゼッガーやオズヴァルト・カバスタらが首席指揮者を務めた。また1906年には、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがこの楽団を指揮して楽壇デビューを果たした。グスタフ・マーラーとも深い縁があり、マーラー自身の指揮で1901年に交響曲第4番を、また1910年には交響曲第8番を初演している。1911年にはブルーノ・ワルターの指揮のもとで、大地の歌の初演も行った。他の完成された交響曲はすべて別々の団体が初演しているので、これは特別に深い縁といってよい。

戦後、1967年にはルドルフ・ケンペが首席指揮者に就任。堅実な指揮ぶりと長身で紳士的な振る舞いを見せ続けた彼の人気もあいまって、最初の全盛期と呼べる時期を迎えた。彼が1976年に死去した後、1979年にセルジュ・チェリビダッケが首席指揮者となり、楽団の名声をさらに高めた。ただ、録音嫌いのチェリビダッケの方針のため、当時はほとんどレコードを世に出さず、オイゲン・ヨッフムやラファエル・クーベリックのもと多くの演奏を録音してきたミュンヘンのもう一方の雄・バイエルン放送交響楽団とは対照的に、メディア受けとは一線を画した活動を貫き続けた。

1999年にはジェームズ・レヴァインが首席指揮者に迎えられたが、わずか5年でその職を退いた。後任の首席指揮者にはクリスティアン・ティーレマンが指名された。彼の就任記念コンサート(2004年11月)で演奏されたアントン・ブルックナーの交響曲第5番は、現在ドイツ・グラモフォンのCDで聴くことができる。次世代を担うドイツ人指揮者と目されているティーレマンがミュンヘン・フィル首席指揮者に就任した際には、ドイツ語圏内クラシック音楽界は大きな期待をかけていたが、2011年にミュンヘンを去った。

2012年からはロリン・マゼールが首席指揮者に就任し、2015年以降の首席指揮者が決定するまでの任期とされていたが、後任がヴァレリー・ゲルギエフに決まったと2013年1月に発表された。マゼールは2014年に健康上の理由で退任し、同年7月に没した。

なお、このオーケストラは、マリス・ヤンソンス率いるバイエルン放送交響楽団とハイレベルな競合関係にあり、そのことはミュンヘン市民の大きな誇りとなっている。初演曲や歴代首席指揮者の得意曲、さらには地元が生んだ作曲家ということもあり、マーラーやブルックナー、リヒャルト・ワーグナー、そしてリヒャルト・シュトラウスを得意としている。中でもブルックナーは、交響曲第9番原典版の初演者ジークムント・フォン・ハウゼッガーをはじめ歴代首席指揮者それぞれが得意とし、数々の録音を残している。

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