ボストン・ポップス・オーケストラ Boston Pops Orchestra

ボストン・ポップス・オーケストラ(Boston Pops Orchestra)は、アメリカ合衆国の名門オーケストラのひとつ。


概要

ボストン・ポップス・オーケストラは、ボストン交響楽団が夏のオフシーズンの間、音楽普及を目的としたポピュラーコンサートや音楽会で演奏するために編成を変えたもので、基本的なメンバーはボストン交響楽団と同じである。基本編成は96名と大規模だが、その時々に応じて人気のある曲や往年のスタンダードナンバーを演奏し、ポップス・オーケストラとして確固たる地位を築いている。

なお、ボストン・ポップス・オーケストラとは別に、フリーミュージシャンをメンバーの主としたボストン・ポップス・エスプラネード・オーケストラ(Boston Pops Esplanade Orchestra)が存在し、海外ツアーはこちらのほうが受け持っている。過去に数回来日しているが、そのうちボストン・ポップス・オーケストラの来日は2回である(指揮者はジョン・ウィリアムズ)。

ニューイングランド音楽院の作曲家学生が作品を発表する場合に演奏を担当する事があり、1934(昭和9)年に、大澤壽人が卒業制作の演奏を自ら指揮している。これが日本人による最初の指揮であった。また戦後の昭和後期には山本直純が指揮台に上っている。

ボストン・ポップス・オーケストラの歴史は古く、設立は1885年に遡る。特に重要なのは1930年から1979年、アーサー・フィードラーが常任指揮者を務めた時代である。この50年の間、フィードラーの下でボストン・ポップス・オーケストラは精力的な活動を行い、瞬く間に知名度を上げていった。1950年代後半から1970年代まで、フィードラー時代の録音は多くが今日でも入手可能である。またフィードラーは、作曲家ルロイ・アンダーソンを見出したことでも有名であり、その縁もあってアンダーソンの初期の作品は多くがボストン・ポップス・オーケストラによって初演された。アンダーソン自身が指揮したこともあり、今日でもアンダーソン作品の演奏でボストン・ポップス・オーケストラの右に出るオーケストラはない。

フィードラーの後、1980年から1993年までは映画音楽の分野で名高い作曲家ジョン・ウィリアムズが常任指揮者を務めた。ウィリアムズの時代のボストン・ポップス・オーケストラは、フィードラー時代に得意としていた軽音楽やオリジナルの現代作品に加え、ジャズやムード音楽も取り入れるなどレパートリーの幅を広げた。特にジョン・ウィリアムズの自作、および彼を含む一流の編曲者が手がけた映画・ミュージカルなどの編曲作品を収めたCDは高い人気を誇る。

ジョン・ウィリアムズが退いてからは2年ほど常任指揮者不在の期間があったが、1995年以後はキース・ロックハートが常任指揮者を務めている。以前はRCAビクターからCDをリリースしていたが、近年はオリジナルレーベルを立ち上げたためか、日本では新作の流通が少なく、華々しい活躍を続けている割には日本での知名度が上がらない。今日入手できるCDの多くは、フィードラーおよびジョン・ウィリアムズが指揮を務めたもの、または1950年代から1990年代前半にかけての客演指揮者を招いての録音である。 )

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