松任谷 由実 Yumi Matsutouya

松任谷 由実(まつとうや ゆみ、戸籍名:同じ、1954年(昭和29年)1月19日 - )は、日本のシンガーソングライター。


旧姓名および旧芸名は荒井 由実(あらい ゆみ)。1972年にシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー。愛称は「ユーミン」。紫綬褒章受章者(2013年)。公式ファンクラブは「Yuming Fan Club」。所属レコード会社はユニバーサルミュージック(旧:EMIミュージック・ジャパン)。

他アーティストへの作品提供の際には、本名の他、呉田 軽穂(くれだ かるほ)というペンネームを使用する場合もある。夫はアレンジャー・松任谷正隆で、彼女の音楽プロデューサーを務める。血液型はO型。

オリコンでは、女性最多となるアルバムミリオン「通算10作」、アルバム首位「通算24作目」、アルバム1位獲得最年長記録(女性1位の64歳3ヶ月、歴代2位)の記録を持つ。1970・1980・1990・2000・2010年代と5つの年代10連続でアルバム売上首位を獲得(歴代1位)。徳永英明、桑田佳祐、山下達郎(3人とも1980・1990・2000・2010年代)が保持していた記録を塗り替えた。

毎年新潟県の苗場プリンスホテルで開催される冬のコンサート『SURF&SNOW in Naeba』では、自身が持つ同一会場でコンサートを行う女性アーティスト1位の記録を毎年更新。

人物

立教女学院高等学校、多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻卒業。
雲母社取締役、苗場プリンスホテル名誉総支配人(期間限定)。1972年、荒井由実の名でEMIミュージック・ジャパンからデビューし、1976年の結婚と同時に松任谷由実へ改名。スタジオジブリ作品へは旧姓の荒井で楽曲を提供した。2013年、EMIJ解散に伴いユニバーサルミュージックへ移籍。

名前は「ゆみ」と読んで「由実」と書くが、時々「由美」と書き間違えられている。
愛称の「ユーミン」は、デビュー以前の14歳の頃、ムーミンにちなみ当時親しかったシー・ユー・チェンが呼び始めたことに由来。

ユーミンと呼ばれるようになった14歳の頃、初めて作曲した。EMIJ在籍時代の後輩にあたる安室奈美恵がデビューした年齢と、宇多田ヒカルが初めて作詞・作曲をした年齢も同じく14歳で、2018年4月7日放送の『嵐にしやがれ』でミッツ・マングローブが彼女らの名を挙げて「世の中の天才と呼ばれる人の多くは何かが14歳で起きている」と言及している。ちなみに宇多田とは誕生日が同じである。

2012年、歌手デビュー40周年として発売された『日本の恋と、ユーミンと。』がオリコン1位を記録し、CDアルバム売り上げ枚数は、ソロアーティスト並びに女性アーティスト史上初の3000万枚を突破。後に100万枚(ミリオン)の売り上げを達成した。

2016年、オリジナルアルバム38枚目として発売された『宇宙図書館』がオリコン週間アルバムチャートで、初登場1位を記録。1位を記録したことによってアルバム首位獲得数が通算23作目となり、自身が持つ、女性およびソロアーティストの最多アルバム首位「通算22作」を「通算23作」に更新した。また、62歳10か月での首位獲得により、女性アーティストの歴代最年長記録を更新した。

黒柳徹子のものまねが得意で、黒柳が司会を務めたNHK総合テレビ『あなたとともに50年 今日はテレビの誕生日』(2003年2月1日放送)に出演した際、本人の前でそれを披露した。ちなみに、テレビ朝日『徹子の部屋』には出演歴はないが、最終回への出演を希望している。

現在のレギュラーは、TOKYO FM / JFN「松任谷由実のYuming Chord」毎週金曜11:00?11:30。 インターネットラジオ「松任谷由実 はじめました」(通称:うそラジオ)毎週金曜11:00更新、翌木曜11:00までオンデマンドで24時間聴取可能。 ニッポン放送「松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD」毎月第3金曜日もしくは毎月第4金曜日22:00~0:00。 集英社 月刊「eclat[エクラ]」連載 松任谷由実 おしゃれ☆Road Show。

「中央フリーウェイ」などの曲もあるが、自身は「自動車の運転免許を持っていない」と語っている。また、松任谷由実のオールナイトニッポンTVにて、「原付の無免許運転で二回捕まり、錦糸町の簡易裁判所で簡易裁判を受けた」と語っていた。

2018年4月11日発売の『ユーミンからの、恋のうた。』が発売初週に10.8万枚を売り上げ、初登場1位を記録。2016年に自身が前作『宇宙図書館』で記録した女性アーティスト最年長記録を64歳3ヶ月に更新した。同時にアルバム首位獲得数は通算24作となり、自身が持つ女性アーティストならびに男女通じてソロアーティスト歴代最多記録も更新した。また、このアルバムと共に前ベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」が8位にランクインし、ランキングトップ10に2作同時ランクインの記録も打ち立てた。

経歴

荒井由実時代

1954年1月、東京都八王子市で1912年から続く、老舗の呉服店・荒井呉服店で、三男二女の第四子(二女)として生まれ、6歳からピアノ、11歳から三味線、14歳からベースを始めた。

中学時代には、カツラを購入し、寝てるように家族には見せかけ内緒で当時国内外の文化人が集まるサロン的存在だった港区麻布台3丁目(1969年まで麻布飯倉片町8番地の住所表記だった場所)のイタリアンレストラン「キャンティ」に出入りしており、またフィンガーズの追っかけもしていた。後に同レストランに集まったアーティストから、アルファレコードが生まれ、デビューのきっかけを作った。また高校にかけては、御茶の水美術学院に通い、年長の同窓生の影響でアルチュール・ランボー、ジャック・プレヴェールを愛唱、多大な影響を受ける。

14歳の頃、当時親しかったシー・ユー・チェンが、荒井を「ユーミン」と呼び始め、これが後に愛称として定着。
1971年に17歳で作曲家としてデビューした。その作品は彼女を本格的なデビューへと誘った加橋かつみ(元ザ・タイガース)へ提供した「愛は突然に…」である(当作品はリリース数年前、14歳当時の作曲)。

染色の専攻を志し、1972年4月に多摩美術大学に入学。初めは作曲家志望だったが、アルファレコードを設立した村井邦彦の勧めで、同年7月5日にかまやつひろしがプロデュースしたシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビュー。しかし同シングルは数百枚しか売れなかった。1973年11月にファーストアルバム『ひこうき雲』を発売、TBSラジオの深夜放送番組『パックインミュージック』金曜日第2部を担当していたパーソナリティの林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年より本格的にステージ活動を開始する。

2012年 - 2013年の特番と『SONGS』で、「立教女学院のパイプオルガン、プロコル・ハルムに強い衝撃を受けた」と語り、確かに「ひこうき雲」はプロコルを髣髴とさせるメロディーラインを持っている。また「キーボードでのロック (音楽)ができるかもしれない」と思ったとも語っている。

1975年10月発売のシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ『家庭の秘密』主題歌)が、初のオリコンチャート1位を獲得(それ以前にもバンバンへの提供曲の「『いちご白書』をもう一度」が1位を獲得している)、1976年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第一次ブームを迎える。

松任谷由実時代

1975年12月にアレンジャー・松任谷正隆と婚約、1976年11月29日に横浜山手教会にて結婚。本人は引退する考えだったが、専業主婦にはなりきれず、結婚後の戸籍名である松任谷由実として音楽活動を続行することを決意。1978年から1983年はオリジナルアルバムを毎年2枚リリースするなど、ブレッド&バター、松田聖子、小林麻美などに楽曲提供をしながらもハイペースで曲を製作。「埠頭を渡る風」、「DESTINY」、「恋人がサンタクロース」、「カンナ8号線」、「真珠のピアス」、「ダンデライオン」などはこの頃作られた。また、リゾート地でのコンサートのスタイルをこの時期に確立。

1981年6月のシングル「守ってあげたい」が1981年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。その年のアルバム『昨晩お会いしましょう』以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得、1987年のアルバム『ダイアモンドダストが消えぬまに』以降は9作連続のミリオンセラーを獲得。

彼女が始めた“見せる”ステージは1979年から始まり、本物の象が出た『OLIVE』・マジックを取り入れた『MAGICAL PUMPKIN』・エレベータを設置した『BROWN'S HOTEL』・噴水ショー『SURF & SNOW』・30mの竜に乗った『水の中のASIAへ』など年々エスカレート。億単位の金をかけ、内外の最新技術を積極的に取り入れた、コンサートの枠を超えた新たな一大エンターテイメントになっていった。当時のインタビューでも、「レコードで儲けた分、コンサートで夢と一緒にファンの方にお返しするのが役目」と語っていた。

当時人気の高かったスキーを題材にした映画『私をスキーに連れてって』(1987年)の主題歌と挿入曲を一手に担当し、「若者のカリスマ」、「恋愛の教祖」などと呼ばれた。「失恋」についてを歌い、彼女自身がライバルと評する中島みゆきの作風とは一線を画し、「中級以上の育ちじゃないとわからない世界観」、「中産階級の手に届く夢」(当時の音楽ライターによる表現)を歌って、バブル景気に沸く時代の波に乗ったユーミンだった。

しかし、1990年代に入ると精神世界や民族的な音楽にも着目。「満月のフォーチュン」や「DAWN PURPLE」、「真夏の夜の夢」、「春よ、来い」、「輪舞曲」などを生み出す。

1996年、旧姓・荒井由実の名で活動を行う。セルフカバーシングル「まちぶせ」を発売。また、当時の仲間のミュージシャンを集めて、『Yumi Arai The Concert with old Friends』を開催した。このライブ・アルバム発売に伴い、年末リリースのアルバムが数か月遅れた。これ以降、日本の恒例行事とまで呼ばれたサイクル(冬のアルバム発売?夏までツアー)が若干緩やかになった。

1999年にはロシアのサーカスチームとコラボレートしたコンサート『シャングリラ』を開催。同コンサートは2003年に『シャングリラII』、2007年にはシリーズ最後を飾る『シャングリラIII』として開催された。『シャングリラ』3回の総制作費は120億円以上、観客動員数は100万人。 2005年、これまで度々出演の打診を受けては辞退し続けていたNHK紅白歌合戦(第56回)に松任谷由実 with Friends Of Love The Earth名義で初出演。 2010年代以降の楽曲提供としては、綾瀬はるか「マーガレット」(作曲:呉田軽穂)、くるり「FIRE」(作詞:岸田繁・松任谷由実)、オルケスタ・デ・ラ・ルス「太陽と黒いバラ」(作詞作曲:松任谷由実)、坂本真綾「おかえりなさい」(作曲:松任谷由実)、芦田愛菜「雨に願いを」(作詞作曲:松任谷由実)、Char「Night Flight」(作詞作曲:松任谷由実)、松田聖子「永遠のもっと果てまで」「惑星になりたい」(作曲:呉田軽穂)、鈴木雅之「Melancholia」(作詞作曲:松任谷由実)、岩沢幸矢「夜空にあなたの名を呼べば」(作詞:呉田軽穂)、NOKKO「ふふふ」(作曲:松任谷由実)がある。

2011年春、NHK『SONGS』と組み、「春よ、来いプロジェクト」を展開。新たにレコーディングされた「(みんなの)春よ、来い」第1弾を5月に配信、11月には第2弾「(みんなの)春よ、来い 2011年秋編」、2012年3月には「(みんなの)春よ、来い 2012」を配信。収益の全てが被災地へ寄付された。

2012年、2014年、2017年には帝国劇場にて、「ユーミン×帝劇」を開催。
2013年、デビュー以来所属していたレコード会社・EMIミュージック・ジャパンが消滅、煽りを受けユニバーサルミュージックへ移籍する。
2013年春の叙勲で紫綬褒章受章。 2015年、石川県観光ブランドプロデューサーに就任。 2017年、東京芸術文化評議会委員に就任。世田谷区名誉区民。

2016年11月には映画「リトルプリンス 星の王子さまと私」日本語吹替版主題歌「気づかず過ぎた初恋(Extra Winter Version)」、映画「真田十勇士」主題歌「残火(のこりび)」、フジテレビ系ドラマ「Chef?三ツ星の給食?」主題歌「Smile for me」、三菱UFJニコス「MUFGカード スマート」CMソング「月までひとっ飛び」、ハウス食品「北海道シチュー」CMソング「あなたに会う旅」、ネイチャーラボ「ダイアンボタニカル」CMソング「君(と僕)のBIRTHDAY」、小林麻美セルフカバー「GREY」などを含む38枚目のオリジナルアルバム『宇宙図書館』を発売。オリコン週間チャート1位を獲得する。11月18日から2017年9月22日まで、全80公演にも及ぶコンサートツアー「宇宙図書館」を開催した。2018年4月11日にはこの模様を収録したライブ作品「コンサートツアー 宇宙図書館」をリリースした。

2018年2月2日~16日まで38回目となる「SURF & SNOW in Naeba」全8公演を開催。3月17日にはアルバムコンセプトライブ「SONGS & FRIENDS」を開催。4月11日にはデビュー45周年を記念して、実売100万枚突破を記録し、ロングセラーとなっている40周年記念ベスト『日本の恋と、ユーミンと。』の続編となる、初めて自ら45曲を選曲した45周年記念ベスト『ユーミンからの、恋のうた。』をリリース。また、2枚のベスト盤を引っ提げ、全32公演にも及ぶ「TIME MACHINE TOUR Traveling through 45years」と題したアリーナツアーを開催予定。数々の伝説の名場面が蘇る、まるでタイムマシーンに乗ったようなステージを構想中。9月24日には、『ひこうき雲』から『ユーミンからの、恋のうた。』までのほとんどのアルバムとシングルのサブスプリクション配信が開始された。

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