日本の男性ボーカルグループ: ダークダックス Dark Ducks

ダークダックス(DARK DUCKS)は、男性の重唱団(ボーカルグループ)である。過去のレコードジャケットでは『ダーク・ダックス』という表記がされる時もあった。同グループのメンバー数は活動の中心時期には長らく4人だった。ただし、1951年の結成当初は3人。メンバーの逝去にともない、現在は1人。


来歴

メンバー全員、慶應義塾大学経済学部出身。同大学の男声合唱団ワグネルソサエティのメンバーたちが、1951年のクリスマスパーティーで「ホワイト・クリスマス」の合唱を披露したことがきっかけで結成。ただしこのときはパクさんこと高見澤宏が入学する前だったので、メンバーは3人だった。結成当時はJAZZ・黒人霊歌を中心に活動していたが、のちにオリジナル楽曲やロシア民謡、山の歌、唱歌など幅広いジャンルの楽曲をレパートリーとするようになった。

1957年にロシア民謡「ともしび」をヒットさせ、一躍スターダムになり、当時としては異例の年6枚のアルバムを発売し、記録的ヒットを収め、歌謡界にコーラスブームを巻き起こした。翌1958年に第9回NHK紅白歌合戦に初出場し、以後、1971年の第22回まで14回連続出場。1976年の第27回に再出場を果たし、通算15回出場している。第9回、第10回(1959年)は彼らの歌のラジオの音声が現存し、1960年代中期からは映像が現存する。第10回は2009年4月29日放送のNHK-FM『今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で彼らの歌も含め全編が再放送された(音声はモノラル)。

音楽活動は日本に留まらず、世界各国でも行っており、ことにソビエト連邦(現ロシア)へは1960年、1962年、1967年、1972年、1974年の5回に渡り長期演奏旅行を行い、盛況を収めている。1987年(昭和62年)には、メンバーが変わらない日本で最も長期にわたって活動するコーラスグループとして、ギネス世界記録に認定。1993年(平成5年)、紫綬褒章受章。これまでにグループ全員による受章は前例が無く話題を呼んだ。

1997年に一過性脳虚血発作でマンガさんこと佐々木行が倒れ、翌年より療養生活に入る(後に鬱病を患っていることが喜早から明かされた)。新メンバー招聘の話もあったが「(ダークの特色から言って)他のメンバーのダークは考えられない」と主要ファンが反対、あくまでマンガ復帰を待つということでコーラスのパートをカルテットからトリオに再編し、以後3人のメンバー(ゲタさんこと喜早哲いわく「ダーク3兄弟になった」と考えて欲しいとのこと)で活動。21世紀に入った頃から、同形態をとるコーラスグループデューク・エイセスとボニージャックスとの共同でのショー開催も行われた。2008年に群馬県館林市にダークダックス館林音楽館がオープンしている。

2010年2月からはパクさんこと高見澤宏も病のため療養。そのため残ったメンバー2名はダークと縁が深くステージ競演も多いしゅうさえこをゲストボーカルに招き、しゅうが高見澤のパートを担当する形でダークダックスwithしゅうさえこというユニットを結成し活動。しかし、2011年1月7日に高見澤宏が急逝。これを受け、ダークが持つ特色や2人ではダークダックスとしての音楽活動はもはや出来ないという判断から同年3月29日放送の『ありがとう!ダークダックス』(NHK-BS2)にて、この番組を以てダークダックスとしての(音楽)活動をひと区切り打つことが発表された。

活動休止宣言から約半年後の2011年11月17日・18日放送『ラジオ深夜便』(NHKラジオ)へゾウさん(遠山)とゲタさん(喜早)が出演し、グループ60年の歴史を振り返った。2人での活動再開についても「まだ(パク=高見澤の死から)完全に立ち直った訳ではないから」としながらも「無いとも言えません、まだ先が長いつもりで考えていきたいと思います」(ゾウさん談)と、今後に含みを見せた。2012年に入ってから、恒例となっているデューク・エイセス、ボニージャックスとの合同コンサートを行うなど、活動を本格的に再開していたが、2016年3月26日に病気療養中だったゲタさんこと喜早哲が逝去。また、同年6月20日にはマンガさんこと佐々木行が逝去。存命するメンバーは遠山一だけになった。

メンバー

・高見澤 宏(たかみざわ ひろむ、1933年11月9日 - 2011年1月7日) 静岡県出身。トップ・テナーで愛称はパクさん。立ち位置は一番左でマイクの保持は左手。静岡市立高等学校卒業。俳優の萬屋錦之介は義兄(妻の兄)、中村嘉葎雄は義弟(妻の弟)、中村獅童は甥にあたる。富永一朗によると、田河水泡の甥にあたるという。神奈川県藤沢警察署警察署協議会委員も務めていた。2011年1月7日、心不全のため神奈川県藤沢市の自宅で死去。77歳没。

・佐々木 行(ささき とおる、1932年2月18日 - 2016年6月20日) 本名:佐々木通正(本名でも活動していた時期があったことから、現在でも資料によってはこちらの名前が掲載されている)。福島県出身。セカンド・テナーで愛称はマンガさん。立ち位置は右から3番目でマイクの保持は右手。主にメロディパートを担当。愛知県立旭丘高等学校卒業。1997年末に一過性脳虚血発作で倒れ、その後鬱病を発症。更に脳梗塞の後遺症のため病気療養していた。歌手のさとう宗幸は、はとこ(さとうの祖母と佐々木の祖母が姉妹)、野球解説者の佐々木信也は遠戚にあたる。療養中の2008年、夫人に先立たれる不幸に遭う。2016年6月20日、心不全のため死去。84歳没。

・喜早 哲(きそう てつ)、1930年11月8日 - 2016年3月26日) 東京都出身。バリトンで愛称はゲタさん。立ち位置は右から2番目でマイクの保持は右手。佐々木行の休業後はメロディパートを担当。東京都立西高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部卒業。日本エッセイストクラブ会員で『日本の抒情歌』(誠文堂新光社、1983年)『日本の美しい歌―ダークダックスの半世紀』(新潮社、2007年)等の著作もある。2016年3月26日、急性肺炎のため死去。85歳没。

・遠山 一(とおやま はじめ、1930年5月26日 - ) 本名:金井哲夫(現在は改名し金井政幸)、東京都出身。バスで愛称はゾウさん。立ち位置は一番右でマイクの保持は左手。神奈川県立湘南高等学校卒業。東京藝術大学中退。ダークの所属事務所でもあるエーディープロダクション社長も務める。2016年6月20日に佐々木行が死去したため、ダークダックスとしては唯一の存命者になった。

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