指揮者:カール・リステンパルト Karl Ristenpart

カール・リステンパルト(Karl Ristenpart, 1900年1月26日 - 1967年12月24日)は、ドイツ出身の指揮者。


生涯

キールの出身。幼少期に天文学者だった父がチリ国立天文台(英語版)の館長に就任した都合で、一時チリに移住した。1913年の父の死去に伴い、ドイツに帰国したが、帰国時に聴いたヘルマン・シェルヘンの指揮するマーラーの交響曲第5番を聴いて音楽家を志すようになった。
1924年から1928年までシュテルン音楽院で学び、その後ウィーン音楽院に留学してヒューゴ・カウダーの薫陶を受けた。ベルリンに戻ってからは、ベルリン・オラトリオ合唱団の指揮者となり、1930年にチェンバロ奏者のルース・クリステンセンと結婚。
1932年からベルリン室内管弦楽団を結成して演奏活動を行ったが、ナチスに協力しなかったため、室内管弦楽団の解散を余儀なくされた。第二次世界大戦終結後は、アメリカ軍占領地区放送局(英語版)(RIAS)のために室内管弦楽団を作り、バッハのカンタータを中心に活発な演奏活動を展開した。
1953年にザールブリュッケンに移ってからはザール放送室内管弦楽団を創設し、ディスコフィル・フランセやエラートなど、主にフランスのレコード・レーベルに多くの商業録音を残した。

1967年12月24日、演奏旅行先のリスボンで心臓発作を起こして急逝した。

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