指揮者:フリッツ・ライナー Fritz Reiner

フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888年12月19日 - 1963年11月15日)は、ハンガリー出身(ユダヤ系)の指揮者。シカゴ交響楽団音楽監督。


生涯

演奏と録音

手兵シカゴ交響楽団との録音は米RCAに残されており、その多くを同レーベルのLiving StereoシリーズのLPやCDで聴くことができる。

また、シカゴ交響楽団以外でのステレオ録音としては、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、そして「交響楽団」とのものが残されている。

レパートリーは広く、どの演奏も、オーケストラの機能性を十全に発揮した筋肉質で純度の高い表現を見せる。とりわけ、若き日に親交のあったリヒャルト・シュトラウスの交響詩、出身地ハンガリーの作曲家であるとともに学生時代の恩師にあたり、さらに個人的にも親しく交際していたバルトーク、圧倒的な力感に溢れたベートーヴェンの交響曲、などについては現在も非常に評価が高く、名盤とされる。また、ウィンナ・ワルツ集は、名ソプラノ歌手エリーザベト・シュヴァルツコップが「無人島に持っていく1枚」として選んだことで知られる。その他、ハイドン、ブラームス、チャイコフスキー、ムソルグスキー、ドヴォルザーク、リムスキー=コルサコフ、レスピーギ等、名盤とされるものは数多い。

経歴からも知られるように、ライナーは歌劇場指揮者としても活躍し、ドレスデン国立歌劇場ではワーグナー『パルジファル』をバイロイト歌劇場以外で初めて指揮した。また、ドレスデンではリヒャルト・シュトラウスに認められて、『サロメ』、『エレクトラ』、『影のない女』、などを次々に上演した。ただ、公式録音でのオペラは、わずかにモノラルのビゼーの『カルメン』(RCA管弦楽団)、ステレオのリヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』抜粋(シカゴ交響楽団)が残されているだけである。

指揮の特色

ライナーの指揮ぶりは、長い指揮棒をわずかだが精密に動かすユニークなスタイル(ヴェスト・ポケット・ビート〈チョッキのポケット式のビート〉と呼ばれた)であった。さらに、楽曲が一定の方向を向いている時や、オーケストラの演奏に緊張感を欠いていると感じた時などは、指揮棒を下向きに降って演奏を引き締めることすらあった。ビデオやDVD化されているライナーの演奏の映像では、身振りはそんなに小さくないものの、右手の指揮棒でリズムをとるだけで、左腕はダラリと下におろしたまままったく動かさず、あとは鋭い眼光によってオーケストラに指示を与えるというユニークな指揮姿を見ることができる。それほどにわずかなバトンテクニックに適応するオーケストラを作ったわけであり、クライマックスでライナーが突然大きく指揮棒を振り上げた時の効果は絶大だったといわれる。シカゴ交響楽団が持つ指揮への反応のよさはライナーが引き出したといってよい。

ピッツバーグ交響楽団で、楽団員が冗談のつもりで双眼鏡を席の前に設置して、それを見つけて激怒したライナーによって楽団を解雇されたという逸話が残されているが、真偽のほどは不明。

指揮にあたって眼を使うというやりかたを、若き日のライナーはアルトゥル・ニキシュから学んだ。
アメリカの音楽評論家H・C・ショーンバークはライナーのバトン・テクニックを賞賛して、ライナーを「指揮者の中の指揮者」と呼び、「オーケストラを使ってどんなことだってできる、恐るべき素養と知識を持つ音楽家」と評している。

ライナーの指揮は動きが小さかったが、そこには無限の陰影が秘められていた。複雑に込み入った現代曲の演奏の時、ライナーは右手の指揮棒の先端で3拍子を、肘で4拍子を、腰で7拍子を刻み、さらに左手でその他の全てのリズムを処理するという離れ業をやってのけた。
大作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーはライナーの指揮するシカゴ交響楽団を「世界で最も柔軟で正確なオーケストラ」と呼んだ。 ライナー治下のピッツバーグ交響楽団で首席フルート奏者をつとめた名フルーティストのジュリアス・ベイカーは、ライナーの指揮を「最小限の動きで最大限の効果をあげる」と評し、「ライナーは最も頭脳明晰な音楽のスペシャリスト。彼の下で演奏した音楽家は誰であれ、異口同音に『この人ほどスコアを知り尽くしている指揮者はいない』というだろう」と述べている。

音楽評論家吉田秀和は1950年代前半にライナー指揮シカゴ交響楽団の演奏会を聞いている。吉田はその時の印象を「いまだに一番はっきり思い出すのは、彼のバトンのふり方である。バトンを下にさげてぶらぶら振っている指揮者の姿は、私は、後にも先にも、この時のライナーのほか見たことがない」「とにかく指揮棒の先端が上を向いていなくて、下を向いているのだから、びっくりした」「楽員たちは、頼るものがなくなるから、当然恐ろしくなり、全神経を集中し、緊張そのものといった表情で演奏する」と述懐し、ライナーの指揮を「指揮の技巧の巧拙というものが考えられるとしたら、ライナーはまれにみる指揮のヴィルトゥオーゾであった」と評価している。

ライナーはオーケストラ・ビルダーとしても知られ、指揮や練習の厳格さで楽団員から恐れられていた。例えばキーパーソンとなる楽団員に対しては厳しい「実地試験」が予告なく課せられることがあり、それをクリアしたメンバーが結果的にその後オーケストラを長きにわたって支え続けることになっている。ライナーの統治下で、シンシナティ交響楽団とピッツバーグ交響楽団はアメリカ一流と認められるようになったし、さらにシカゴ交響楽団は世界トップクラスのオーケストラへ発展を遂げた。

Wikipedia

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