指揮者:ネーメ・ヤルヴィ Neeme Jarvi

ネーメ・ヤルヴィ Neeme Jarvi, 1937年6月7日 - )はエストニア出身の指揮者。


略歴

旧ソ連時代のタリン出身。タリン音楽院で打楽器と合唱指揮を学んだ後、レニングラード音楽院に進んでエフゲニー・ムラヴィンスキーに師事。タリン音楽院に在学中にはエストニア放送交響楽団(現エストニア国立交響楽団)で打楽器奏者として活躍した。その後指揮者に転じ、エストニア放送交響楽団、エストニア国立歌劇場の音楽監督を歴任。1971年に聖チェチーリア国立音楽院国際指揮者コンクール首位受賞。

1980年にアメリカ合衆国に出国。1982年よりイェーテボリ交響楽団首席指揮者(2004年まで)。また、1990年よりデトロイト交響楽団音楽監督(2005年まで)。1995年9月より日本フィルハーモニー交響楽団客員首席指揮者。現在、ニュージャージー交響楽団音楽監督(2005年より)とハーグ・レジデンティ管弦楽団首席指揮者。

ヤルヴィは、カラヤン以後の世代で最も録音数の多い指揮者として記憶と記録に残されている。厖大なレパートリーの中でも、ロマン派音楽と20世紀音楽の解釈が知られ、フランツ・シュミットの交響曲全曲録音は、この作曲家の名声の復活と、国際的な普及に貢献した。エストニア音楽の庇護者でもあり、エドゥアルド・トゥビンやアルヴォ・ペルトの録音も有名で、ペルトの「クレド」は1968年にヤルヴィの指揮で初演された。

得意とする作曲家はショスタコーヴィチで、交響曲第7番『レニングラード』の録音やバレエ音楽の録音が知られている。また、デトロイト時代には積極的にアメリカ人交響曲作家の系譜をたどり、チャドウィックやエイミー・ビーチ、アイヴズ、バーバー等の作品を録音して世界に広めた。

客演先は膨大で手広く指揮している。その中でもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは親密な関係を築いており、ほぼ毎年のように客演しており、レコーディングも行っている。単身で来日し、日本フィルハーモニー交響楽団も指揮したことがある。

ヤルヴィは打楽器奏者出身の指揮者であるためか、ティンパニや小太鼓等を強調する傾向があると共に、速いテンポ設定(例えば、Chandosレーベルに録音したマーラーの交響曲第6番「悲劇的」第1楽章は反復を行って20分を切っている)により、音楽のうねりや力感を強調し、情緒やニュアンスを排した解釈が特徴的である。それ故引き出される音楽は、一方では知的で構成力を感じさせる半面、ともすれば無味乾燥ともとられかねない。しかし、細部にとらわれずに、巧みな牽引力によってオーケストラから輝かしく力強い音色を引き出し、爆発的に燃焼力の高い演奏を行なっている。

家族

長男パーヴォ(1962年 - )、次男クリスチャン(1972年 - )も指揮者。長女マーリカ(1964年 - )はフルート奏者。

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