指揮者: ヤクブ・フルシャ Jakub Hrusa

ヤクブ・フルシャ(Jakub Hrusa、1981年7月23日 - )は、チェコのブルノ出身の指揮者。

建築家のペトル・フルシャ(Petr Hrusa)を父親に持つ。
プラハ・フィルハーモニア音楽監督兼首席指揮者、東京都交響楽団プリンシパル・ゲスト・コンダクター。

人物とその活動

2011年に『グラモフォン』誌で、「大指揮者になりそうな10人の若手指揮者」のうちの1人に選ばれた。
ブルノのギムナジウムに通っていたころは、ピアノとトロンボーンを習っていたが、次第に指揮に興味を持つようになった。その後プラハ芸術アカデミーに進学し、イルジー・ビエロフラーヴェク、ラドミル・エリシュカらに指揮を学んだ。
2000年にプラハの春国際音楽コンクール指揮者部門に出場、このときは予選落ちした。フルシャはこのことについて
「指揮者になろうとした時に背中を押してくれたのはラドミル・エリシュカ先生でした。まだプラハ音楽アカデミーの1年生の時に『プラハの春国際指揮者コンクール』に出場するように奨めてくれたのです。その時は結局本選には進めなかったのですが、初めてプロのオーケストラを指揮するという貴重な経験を得ることが出来ました」と語っている。

2004年にアカデミーを卒業した。ルドルフィヌムでの卒業コンサートでは、プラハ放送交響楽団を指揮してヨゼフ・スークの『アスラエル交響曲』を演奏した。
卒業後はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団などのチェコ内のオーケストラや、フィルハーモニア管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、BBC交響楽団などの世界各地のオーケストラに客演を行いつつ、ヨーロッパのオケでポストを得て経験を積む。

2010年にはプラハの春国際音楽祭オープニングコンサートの指揮者を最年少で務めた。また、同年より東京都交響楽団プリンシパル・ゲスト・コンダクターに就任した。就任会見では都響について
日本のオーケストラは個性がないと言われるようですが、私はそうは思いません。特に都響について言えば“高い柔軟性”という個性があります。指揮者が指示したことが必ず返ってくる。これは鍛錬を積んだ技術力、正確なリズム感、バランス、理解力がないとできません。とても大きな魅力でしょう。と語った。

東日本大震災よりちょうど1年後の2012年3月11日には、本人の希望で、ともに来日していたプラハ・フィルハーモニアのメンバーと、東京都交響楽団のメンバー5人が加わって、ドヴォルザークの交響曲第9番より第2楽章:ラルゴを演奏し、追悼演奏を行った。

今後の展望

元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席ホルン奏者のラデク・バボラークは、プラハ・フィルハーモニアが初めて入団した楽団で、ベルリン・フィル退団後にソリストとして活躍する傍ら、「レジデント・アーティスト」として舞い戻った。フルシャとは、同じチェコ人ということや、プラハ・フィルハーモニア繋がりで関係が深く、
「いまでは肩書を外していますが、変わらずソロや室内楽で頻繁に共演してくれたり、音楽的アドバイスをしてくれる、親密な関係です。この世界最高のホルン奏者は、私たちの誇りです」 と語っている。

今後はオーケストラ作品を中心に演奏していきたいと考えているという。いくつかオペラの客演の仕事もこなすが、だんだん少なくして行く予定で、今はオーケストラ曲に集中しながら自分の世界を広げて生きたいと語る。
マルティヌーの音楽は自分にとってとても重要で、その作品を演奏することは20世紀音楽の知る上でとても重要だという。国際マルティヌー協会会長。

受賞歴

2003年 ロヴロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクール 優勝

楽団

過去

現在

Wikipedia

inserted by FC2 system